「ねえクマ吉、わたし、メイクとかしたほうがいいのかな…?」
真剣な顔で尋ねてくる少女に、僕は見えないけれど、着ぐるみの下で思いっきり「大丈夫だよ」という顔を作る。
さくらちゃんには、僕の大学にいる化粧の濃い女子みたいにはなってほしくない。
「なんかね、京子に『さくらは元がいいのに、メイクしないから残念だよね』って言われたの。確かに周りの子皆メイクしてるし、わたしもしたほうがいいのかなって」
京子ちゃんはさくらちゃんのことを何にもわかっていないな。
さくらちゃんは、きっとさくらちゃんのクラスの誰よりもかわいいと思う。
もし僕がさくらちゃんのことを大学の友達に紹介したら、みんな年の差を気にせず猛アタックするだろう。
くりくりとした大きな目に、桜色に火照った頬と唇。そんな顔にベールをかけるようにまとわれた栗色のふわふわした髪の毛。
さくらちゃんが椅子にふわっと座るたび、僕はいつも、まるで春の妖精みたいだ、と思う。もちろんそんな気持ち悪いこと言わないし、言えないけど。
「メイクってね、自分の顔のいやなところを消せるんだって。京子が言ってた」
さくらちゃんは語尾によく「ね」がつく。
京子ちゃんには、そんな可愛いさくらちゃんを汚さないでほしい。
さくらちゃんの話によく出てくる京子ちゃんは、悪口好き、恋バナ好き、おしゃれ好きで勝気な女の子だ。僕の大学にもたくさんいるタイプで、ついでに言うと僕の苦手なタイプ。高校に入学したとき、優しくてかわいいさくらちゃんは獲物にされてしまったらしい。
正直言うと、さくらちゃんにはもっと優しくてケバくない子と仲良くなってほしいけど、僕は着ぐるみだし、さくらちゃんの人生に口出しはできないので何も言えない。
「わたしここのそばかすが嫌で、メイクしてみようかなって思ってるんだ。だけど、お母さんが許してくれるかなあ……」
何度かさくらちゃんのお母さんを見たことがあるけど、品があって素敵な人だった。
あのお母さんがメイクをすることを許してくれるかはわからないけど、さくらちゃんのそばかすはチャームポイントなんだから、気にすることないのに。
「あ!そういえばね、京子が見せてくれた雑誌の女の子がすっごく可愛かったの!みてみて」
僕が着ぐるみなのにも関わらず、さくらちゃんは僕に見やすいように雑誌を広げてくれる。
さくらちゃんが見せてくれた雑誌の子は、確かに”いまどき”で可愛かったけど、僕は全然惹かれなかった。さくらちゃんの方が何倍も可愛い。
「この人こんなに肌きれいでうらやましいなあ……。私もこんな肌になりたいなあ」
さくらちゃんはとても優しくてかわいいが、そのやさしさ故に、他人優先で自己肯定感が低い傾向にある。ピアノであっても、自分の顔であっても、友達関係であっても。
だからよく悩むし、たまに泣く。
そんなさくらちゃんを笑わせてあげたいけど、僕にできるのは、せいぜい話を聞いてあげることだけだ。あとたまに飴をあげるとか。
もう十年来の友達になるけど、何の助けもできない自分に嫌気がさす。
「大学にはこんなかわいい子が山ほどいるんだって。友達になれるといいな!」
大学生の着ぐるみからの忠告だけど、さくらちゃんのあこがれてるような顔をした女性は皆怖いから、なるべく怒らせないほうがいい。それから友達になるなら、いつも遅刻せずに一限を受けるタイプの人がいいよ。
「あと、かっこいい人もいっぱいいるんだってね」
まさかさくらちゃん面食い……?
「わたしにも彼氏ができちゃったりしてー。そうなったらクマ吉に一番早く教えるね!」
一番早く教えてくれるのは嬉しいけど、聞きたくない報告だなあ……。
さくらちゃんを恋愛対象として見ているかと聞かれたら、わからない。
もしさくらちゃんに彼氏ができたら一週間は落ち込む自信がある。だけど、どちらかというと妹みたいな感覚だ。僕はシスコンな兄で、兄の顔も知らない妹を影でずっと応援している感じ。
「いいよね、きらきらな恋愛」
大学生の恋愛を「きらきら」と儚く言える時点で、さくらちゃんに大学の派手な人間はもったいない。絶対に保育士希望の大学生と恋愛したほうがいいと思う。
「クマ吉はいつも私の夢物語を聞いてくれて、ほんと優しいね。やっぱり信じるべきはぬいぐるみだよ」
残念、中の人はうるさい大学生だよ。
「それじゃあ帰るね!ばいばいクマ吉!また明日」
そう言って、さくらちゃんは鞄を取って小走りで走って行った。
些細な幸せの時間が終わったその時、”大原春人”としての人生が始まる。
僕は、この瞬間が世界で一番大嫌いだ。