優子と別れてから、スーパーまでの道を四人で歩いた。その間、私の頭の中では、ものすごい勢いで献立と帰ってからの手順が組み立てられていく。
まずお風呂を沸かして、洗濯物を取り込んで、浩介にお風呂入れてもらってる間にご飯作って……
そんなことを考える合間に、人が行き交う歩道を颯太と俊介がふざけあいながら駆ける姿を目の端でとらえる。
「こらっ、走っちゃダメ」
家の中よりもぐっと声を抑えたせいで、私の声は届かない。二人はまだじゃれあっている。
そこに、私の隣を歩いていた浩介が駆け寄っていく。
「おーい、ふざけてると危ないぞ。パパと手をつないでいこう」
二人の間に入って、それぞれに手を伸ばす。
俊介はその手をそっと取った。重なった小さな手を、大きな手が大切そうに包みこむ。
かたや颯太は、
「えー、パパと手つなぐとか恥ずいし」
といかにも迷惑そうな表情を作る。
「恥ずいって……」と浩介がショックを受けているのが、大袈裟な肩の動揺で見て取れた。
「じゃあ、颯太はママと手つなぐか?」
颯太がこちらを向いた。
浩介に似た煌めく瞳に、一瞬体が固まった。
「ま、いいけど」
颯太はそう言いながら、渋い顔を作って私の手を迎えに来た。
きゅっと握られた手の力はまだまだ頼りなくて、儚げで、だけど、愛おしい。
二人一組になって、スーパーへ急ぐ。だけどすぐさま、
「あ、公園見っけ」
そう言いながら、颯太の手が私から離れていく。
「あっ」と言っている間に、小さな体が夏の重たい空気を切るように駆けていく。そこに俊介が合流する。
「もうっ。スーパー行くの遅くなっちゃうから」
と小言を投げかけるも、すでにジャングルジムの頂を目指している。私の声が、すっかり届かない場所だ。
「まあ今日は、お惣菜でも買ってく?」
颯太と入れ替わりに、浩介が私の隣に立ってそう言った。
「今日はママの休日にしてさ。二時間のおしゃべりじゃ、休日として不足でしょ?」
「うーん」と顎に手を当てて考えていると、そばの自販機でガシャガシャと派手な音が鳴った。
「ちょっと、何買ってんの?」
「え? 暑いかなあと思って」
「スーパーで買ってよ、そっちの方が安いんだから。あ、しかもジュース買ってる。もうっ」
「まあまあ。それより、今日はどんなこと話したの? 立花さんと」
話をそらしてへらへらとした顔で聞いてくる浩介を、ムッと睨みつけたけど、私が話し始めるのを穏やかに待つその表情に、ため息とともに顔の力を抜いた。
「別に、大したこと話してないよ。いつも通り」
「恋バナ?」
「なんでそうなるの?」
「だって、女の子たちはみんないつも恋バナして盛り上がってたじゃん。男子には聞かせられないって。俺たちそわそわしながら見守ってたもんなあ。誰の話してるんだろうとか、今こっち見てたよな、とか」
「悪口だったらどうする?」
「それは知りたくないな」
一瞬で顔をげんなりさせる浩介に、私から笑みがこぼれた。そこに浩介の穏やかな微笑みが重なる。
迎えに来た手が、私の手にそっと重ねられた。
「あっ……」と小さく身を引いたのは私だけで、浩介はどこまでも穏やかな表情で私を見つめていた。
西日が赤々とその表情を照らしている。
「げっ、パパとママが手つないでる」
遠くの方からピストルで撃ちぬかれたような衝撃が、耳を貫く。
素早く向けた視線の先に、ジャングルジムのてっぺんで、まるで見張り台から敵を見つけたがごとく、颯太が大声を放つ姿を認めた。
同時に、公園にいた他の親子の視線がこちらに一斉に刺さる。その中にはなんと、園が同じ子どもの親もいる。
私は一瞬にして、後ろ髪惹かれることもなく浩介の手をパッと離した。
目くじらを立てて早足で颯太のもとに行こうとする私の腕が、グイと後ろに引かれた。
そして耳元を、生暖かい吐息が舐める。
「また後でつなごっか」
甘い吐息交じりの声に、一瞬で耳がかあっと熱くなるのを感じた。
力強く踏み出した足が、その場で力を失くす。
私の代わりに、頼もしい背中がジャングルジムに駆けていく。
耳から顔から体全体へと熱が走っていく。そこに追い打ちをかけるように、背中に西日の熱が刺す。
大して走ってもいないのに、心臓が、バクバクとうるさく囃し立てる。
この顔を誰にも見られないように、手で覆い隠して視線だけを前に向けた。
その優しさあふれる笑顔に。
「あ、パパ、ジュース買ってるー」
浩介の手元からジュースが奪い取られる。それを颯太が嬉しそうに持って走る。それを俊介が追いかける。
差し伸べるその大きな手の中にペットボトルが戻されると、浩介は得意げにその蓋を回した。力の込められた二の腕に、なぜか見とれてしまう。
カチカチっと小さな音が鳴ったかと思ったら、その瞬間、プシューッという音を立ててペットボトルの中から、泡が柱を作って豪快に噴き出す。
「やばっ」
しゅわしゅわと音を立てながら作り出される泡の柱の中に、弾けんばかりの笑顔が見える。
泡と戯れる姿は、爽やかさそのものだった。
その視線が、「早矢香」という声と共に、不意にこちらに向けられる。
それだけなのに、その瞬間、不覚にもまた、心臓が大きく跳ねる。
浩介が指先でつまむペットボトルからは、まだ泡が噴き出ている。次から次へと、とめどなく。
そのペットボトルに視線をやったまま、可笑しそうに笑ってこちらに浩介はやってきた。
「まいったな、炭酸ってこと忘れてた。タオル持ってる?」
「……好き」
浩介の声の中に、わざと自分の声を潜り込ませた。あくまで、相手に聞こえないように。
そこにある、炭酸ジュースのように噴き出してしまいそうな思いを、そっと、吐き出した。
「……え?」
「え? ううん、何も言ってないよ。えっと、タオル、タオル……ハンカチならある……」
「俺も好き」
夏の生ぬるい空気を、かすかな風が揺らしていく。
さらりと駆けた風の中に舞いあがった声に、不意に抱きしめられる。
私の胸のメトロノームが、また乱れ始める。
私はもう一度、君に、恋をする。

