夏休みに入った。
夏休みの学校は、なんだか不思議な感じだった。
いつも通っている学校なのに、向かうのは教室ではなく武道場で、出会う人はクラスメイトではなく、違うクラスの同級生や先輩たちで。
学校に行くのに、授業はない。日常なのに、非日常に迷い込んでしまったような、そんな不思議な感覚になる。
そして日を追うごとに、その非日常が日常に変わっていくのもまた不思議だった。
夏の大会に向けての準備は、私たちが入部する前からすでに始まっていた。
夏休みに入るとそれが本格化し、和気あいあいと練習していた空気に、緊張感が漂い始めた。大会出場組とイベント組とに分かれ、それぞれの練習が始まった。
イベント組とは、二学期以降の学校行事に向けてのいわば控え選手である。文化祭での部としての出し物はもちろん、開会式、閉会式のBGMも担当する。そして体育祭での応援席では中立部として、各団の応援合戦にも加担するのがこの部の伝統らしい。
さらに夏休み中は野球部の大会の応援に馳せ参じたりと、こちらはこちらで目まぐるしい日々を送っていた。
何といっても練習曲数が多い。文化祭の出し物に至っては、夏の大会が終わったらすぐにでも練習に取り組めるように、選曲や楽譜の手配に走り回っている。早いパートはすでに練習に取り掛かっている。
初心者の私がほんの三か月ほどで大会に出られるわけもなく、私もイベント組として忙しい日々を送っていた。
それに加え、基礎練習は怠ることなく、日々のルーティンとしてこなし、新しい楽器に果敢に挑戦したり、新曲に取り組んだりと、充実した夏休みを送っていた。
自分でも、日々上達していくのが手に取るようにわかり、それを嬉しく感じた。
初めてクラリネットに触れて、少しずつ上達して楽しくなっていった頃の感覚がよみがえるようだった。
毎日が楽しかった。日々の練習も、イベントの準備も、大会に出るメンバーの応援も。そして自主練の合間に、こっそり合奏部屋をのぞきに行くのも、私の楽しみの一つとなっていた。
今日もまた、トイレという口実を作って、相変わらず開けっぴろげになったカバンや楽器ケースが並ぶ通路を、忍び足で歩く。
静まり返った通路に、一階の柔道場から漏れ出た合奏の音がぼんやりと流れてくる。立ち止まって耳を澄ませると、クラリネットの音が聞こえる。その中から、先輩の音を探す。記憶の中の先輩の音を頼りにして。
先輩は、大会出場組だった。
一日の大半、こうして合奏に参加している。大会組が終わると、それと入れ替えにイベント組が合奏やらアンサンブルのために柔道場に入る。夏休みとはいえ、ほとんどすれ違いの毎日を送っていた。そもそも楽器の違う私たちが部活中に話す機会なんてほとんどない。
ポケットに忍ばせたスマホをちらりと見た。
光った液晶画面に、デジタル時計の数字がちらりと見えた。
その作業を、もう今日は何度しただろう。
部活は楽しい。だけど、来たそばから、帰りの時間が待ち遠しい。
早く先輩に会いたい。話したい。その声が聞きたくて、笑顔が見たくて、匂いを感じたくて、たまらなくなる。
だから私はこうして、先輩のクラリネットの音を探してしまうんだ。

