突然ぐぅ〜っとお腹が鳴った。

 「燈花(とうか)様、まずは腹ごしらえですよ。昨日からまだ何も召し上がってないでしょう?お粥を今お持ちしますね。食後は少し裏庭を散策いたしましょう。金木犀の花がとても良い香りなのです」

 「ありがとう、楽しみだわ」

 小彩(こさ)はニコッと笑うと部屋をあとにし、すぐにお粥を運んできてくれた。まだ湯気の出ている温かなお粥の上に桜の花びらが一枚浮かんでいた。

 食事を済ませると早速二人で裏庭の散策へ向かった。小彩(こさ)の言った通り金木犀の花が満開だ。風が吹くたびに甘い香りに包まれた。

 肝心要の事を聞かなければと思い翡翠の指輪を握りしめた。…そう山代王のことだ。なぜか小彩(こさ)はそのことについて何も触れてこない…
 いつもの東屋に移動し石に腰かけ飛鳥の都を見渡した。私にとっては数日前だが十三年たった今も都の建物は朱色に輝き美しいままだ。

 「あれは、何?」

 香久山の後方にうっすらと高い塔が見えた。

 「あの塔は田村皇子(たむらのみこ)様が建立されている百済大寺でございます。九重塔の予定ですが不運な事に何度も火事に遭い、未だ完成していません…」

 「田村皇子(たむらのみこ)?」

 「さようでございます」

 「…そう」

 田村皇子(たむらのみこ)舒明天皇(じょめいてんのう)のことだ。

 「田村皇子(たむらのみこ)様も数年前から病を患っておいでで、昨年伊予の国に湯治に行かれ数か月ご滞在されたあと、飛鳥にお戻りになられたのですが、体調が優れず床に伏されているそうです」

 「そう…」

 確か舒明天皇(じょめいてんのう)彦人皇子(ひこひとのみこ)の子息だったはず…敏達天皇(びだつてんのう)の孫にあたる方…しまった今って何年なのかしら⁉︎
 推古天皇(すいこてんのう)がお亡くなりになったのが確か628年?そこから13年後っていうと、今は…641年?642年?そのあたりだわ…大化の改新が645年だから…

 急に寒気がし体がガタガタと震えだすと指先も血が通っていないかのように冷たくなった。

 「燈花(とうか)様寒いですか?まだ春先なので底冷えしますね、今熱いお茶をお持ちいたします」

 「ありがとう、小彩(こさ)



 小彩(こさ)が戻ってくるのを待ちながら考えていた。やはり十三年の月日が経っているのは間違いない。遠くにそびえ立つ百済大寺は舒明天皇(じょめいてんのう)の発案だ。歴史書にもそう書いてあった。でも、いったいここで何をするべきなのかがさっぱりわからない… そうだ思い出した…あの夜、中宮が最後におっしゃった事…

  「どうか、あの子達を助けて欲しい」

 確かにそう言った…私にしかできないって…でもそんな、一体誰を助けろというのかしら…仮にわかったとしても私には何の力も地位もない。助けられるはずないのに…

  
  「燈花(とうか)様、お待たせいたしました」

 小彩(こさ)は運んできた茶器を石の台の上に置くと、お茶を注いだ。いつもよりも熱い茶に口をつけると思わず涙が溢れた。

 「燈花(とうか)様、だ、大丈夫でございますか?」

 驚いた小彩(こさ)が慌てて手巾を取り出し手の上に置いてくれた。見ると手巾の端には小さな橘の刺繍が施されている。

 「この手巾…」

 「そうですよ、以前に中宮様が私達の為に縫ってくださったものです。十三年前に燈花(とうか)様が急に東国に帰られたので、またお会いする日までと思い私が預かっておりました。丁度今日お返しすることができて良かったです。あっ、あとこれも…」

 小彩(こさ)はまた袖の下に手を入れゴソゴソすると小さな包みを慎重に取り出した。そっと開けると包みの奥がきらりと光り、中から赤瑪瑙(あかめのう)(かんざし)が現れた。もともとは髪留めだったが、林臣(りんしん)の手に渡り手直しされた後、(かんざし)として生まれ変わったものだ。

 「深田池の畔で倒れている燈花(とうか)様のそばに落ちていたそうです。金具の部分が少し壊れていたので、六鯨(むげ)様に頼んで直してもらっておりました」

 「…この髪留めは我が家で先祖代々から受け継いでいるものなの…詳しくは知らないけどお守りのようなものね。見つけてくれてありがとう、大切なものよ」

 そう言い、(かんざし)を見つめた。

 この髪留めは私と一緒に時を超えてきた。手元に戻ってきたのはこれで二度目…一度目は北山で失くし林臣(りんしん)様が見つけて戻った。今回も私のもとへと戻った。何か重要な意味があるのかしら…

 そして桃原墓で会った林臣太郎(りんしんたろう)を思い出した。腕の傷は治っただろうか…。