帰り道私達の口数は少なく、山代王は安倍家令嬢の紅衣(こうい)との婚姻の話を伝えてきた。私はもちろん事情を理解し受け入れたが、実はそれよりも今後の運命の方が気になりなぜか胸がザワついていた。

 私は結局は未来を生きる人間、何らかの理由でこの時代に来てしまったけど、いつ、もとの世界に戻るかもわからない…山代王さまのお側にいても良いのだろうか?急に現実世界に引き戻されたような不安に襲われた。

 「燈花(とうか)よ、先ほども伝えたが私の心はそなたのものだ。先にそなたを娶りたいのだ」

 「ありがたき幸せでございます。でも…」

 大王にはなんと説明すればいいのかしら…困ったわ。私が黙ってうつむいていると、山代王が私の心を見透かしているかのように言った。

 「案ずるな、先日兄上に私の気持ちを伝えた」

 「えっ⁉︎大王様との事を、ご存知なのですか?」

 「さよう…恥ずかしながら、この間別宮の中庭でそなたと兄上の姿を見かけた。そしてそのまま会話を盗み聞きしてしまった…」

 「さようでございましたか…」

 「その時に、自分の想いを確信したのだ。そなたを誰にも渡したくないと、大王である兄上でさえもだ。ゆえに、そなたの気持ちを尊重しようと兄上と昨晩話し合い決めたのだ」

 「…そうでございましたか…」

 知らないところで話が進んでいたことにとても驚いたが、大王に直接断りの言葉を伝えなくて良いと思うとほっとしていた。

 大王の寂し気な瞳が少しだけ浮かび心が痛んだ。
 
 橘宮(たちばなのみや)に着く頃には真っ暗だった。小彩(こさ)漢人(あやひと)が松明を持って門の前をウロウロしている。山代王は門の手前で馬を降りた。

 「まずは兄上に今日の話をし、朝廷の大臣達の合意のもとでそなたと正式に婚姻の手続きすすめるつもりだ。中宮さまからのお許しも頂かないとならぬ。ゆえに、少し時間がかかるのだが、まとまり次第すぐに会いに参るゆえ、待っていてくれ」

 「はい、わかりました」

 私がそう答えると嬉しそうににこっと笑い、屋敷に帰っていった。

 私の姿を見つけた小彩(こさ)が一目散に走ってきて矢継ぎ早に言った。

 「燈花(とうか)様、ご無事で安心いたしました。今までどこにいらっしゃったのですか?山代王様のお姿をお見えしましたがお会いになられたのですね!でも、なんて事!お体が冷え冷えですよ!急いでお部屋に戻りましょうすぐに熱いお茶をお持ちしますから」

 小彩(こさ)の温かな手にひかれ部屋へと戻った。体が熱帯びている気がして寒さなど感じなかった。ゴロンと寝台の上に寝転がり今日一日の出来事をもう一度整理し始めた。

 「燈花(とうか)様?入りますよ、よいですか?」

 「…えぇ」

 「燈花(とうか)様、さっきから、何度も部屋の前でお呼びしていたのですよ。何かあったのですか?」

 小彩(こさ)が熱いお茶をくみながら言った。そして囲炉裏に火を灯してくれた。すぐにパチパチと火が燃え上がり部屋の中が温かくなった。頭の中はこのほどよい温かさにポワンとしている。

 「…小彩(こさ)、私自分の気持ちが分かったみたい」

 「えっ⁉︎も、もしかしてお気持ちをお決めになられたのですか?ついに大王様のご側室になられるのですね!」

 小彩(こさ)は目をキラキラと輝かせながら言った。

 「そ、それが…違うのよ」


 「違うとは?どう違うのでございますか?」

 小彩(こさ)が目を丸くして聞き返してきた。

 「そ、それが…私、山代王様をお慕いしているみたい。山代王様も同じ気持ちでいてくださったみたいで…」

 「えっ⁉︎でも燈花(とうか)様、山代王様は実の兄弟のように信頼できるし、良き友だともおっしゃっていましたよね⁉︎」

 小彩(こさ)が更に目をまんまるるくして言った。瞬きもしていないところを見るとこの告白は相当衝撃らしい。

 「私もそう思っていたのよ…けど、この数日で、何故か山代王様の事を考えていたし、今日中宮さまの屋敷で、安倍家の紅衣(こうい)さまを見て婚姻が決まっていると知り…胸が痛んだの」

 小彩(こさ)は信じられないというように口をポカンと開けたままだ。

 「しかし、今日、冬韻(とういん)様より来春にはお二人の婚儀が盛大に開かれるとお聞きしたではありませんか、お辛くはないのですか?」

 小彩(こさ)は今にも泣き出しそうだ。

 「仕方ないわよ、山代王様は大王家の方よ。王家の朝廷での地位を磐石にするためにも有力豪族の後ろ盾はかかせない。しかも沢山のお世継ぎをもうけなければならないし、それがこの国の安定をもたらすのよ。王様の大事な務めだわ…ただ私、複雑な事情があって、詳しい事は話せないけど…いつの日か、急に故郷に帰るかもしれないわ…それが不安なのよ…」

 「でも、燈花(とうか)様が山代王桜に嫁げばこの飛鳥の都が故郷になるのではないのですか?」

 「それはそうなのだけど…」

 さすが小彩(こさ)、良いところをついてくる。でも万が一私が突然消えたりでもしたら、大きな混乱を引き起こしてしまうような気がして不安な気持ちでいっぱいだった。

 「燈花(とうか)様はたまにおかしな事を申されますね、でも大丈夫です!私はいつまでも燈花(とうか)様の侍女でございます。微力ですが、誠心誠意お仕えいたします。あっ、中宮様が聞いたらきっととてもお喜びになられますね!すぐにでもご報告に行きたいくらいです!」

 「まだ、正式に決まったわけではないのよ、大王さまのお許しと、朝廷の大臣達の合意を得ないといけないみたいで…」

 私の心とは裏腹にすっかり隣で小彩(こさ)は浮かれている。何故か悪い方向にばかり考えてしまっていたが、小彩(こさ)の無邪気に喜ぶ姿を見ていたら、人生なんとかなるのかも知れないと思い、成り行きに身を任せようと考え直した。