長い廊下の先から、数人の男たちと若く美しい少女が歩いてくるのが見えた。私たちは廊下の端に避け一行が通りすぎるのを待った。少女は鮮やかな紫草で染められた絹の衣をまとい頬は桜色をし唇には赤い紅がさされていて、肌は透き通り玉のように美しい。

 綺麗に結われた黒髪には濃い緑色の翡翠の簪がささっていて、若いながらも高貴で可憐で品がある。少女は私達の姿に気が付くと、軽く会釈をして通り過ぎその先にある中宮の部屋へと消えていった。

 若いのに気品に溢れた綺麗な子ね、身なりからしてきっと名家のご令嬢ね…

 屋敷の門にさしかかった時、突然名前を呼ばれ振り返った。

 「燈花(とうか)様!」

 聞き覚えのある声だ。振り返り見ると一人の若い男が走ってきている。

 山代王の側近の男、冬韻(とういん)だ。

 以前大王の屋敷で行われた宴の時に案内してくれた人物で、その後も何度か会っている。色白で背が高く無駄口がなくいつも物静かだ。彼の誠実な態度は人や場所を選ばない。山代王を支える最も忠実な臣下の一人だろう。

 「冬韻(とういん)様ですね?ごぶさたしております。また小墾田宮(おはりだのみや)で会うとは奇遇ですね」


 「はい。旅の疲れは取れましたか?」

 相変わらず彼の紳士的な振る舞いに感心していた。

 「はい、このとおりです」

 私は両手を広げて少しおどけてみせた。

 「ところで今日は何の用でいらしたのですか?山代王さまもご一緒ですか?」

 冬韻(とういん)は不意をつかれたようにハッと驚いた表情をすると体を硬直させたが、嘘がつけない性分なのだろう…少し困ったような表情をし唇をかみしめた後、意を決したかのように事の次第を話し始めた。
 きっと藁をも掴みたい心境だったのだと思う。

 「…実は今日、安倍家ご令嬢である紅衣(こうい)様と、来春に行われる婚姻の儀の事で話し合いの席があったのですが、若様に今朝その事をお伝えすると大変お怒りになり、そのまま屋敷を飛び出されてしまったのです…。すぐに紅衣(こうい)さまがお越しになり、しばらく若様のお帰りをお待ちになられましたが戻らず、別の宮の使いのものから若様を小墾田宮(おはりだのみや)付近で見たと聞いたのです。このように急ぎ紅衣(こうい)様と共にこちらに参りました。若様にお会いしてはいませんか?」

 急な話に気が動転し混乱したが、さっき廊下ですれ違った美しい少女が山代王の婚約者なのだろうとすぐにわかった。山代王の居場所よりも先に婚約者がいた事を知り、自分でも予想しなかった複雑な感情が湧きおこり自分自身を落ち着かせる方が先決だった。頭の中が真っ白になった事に正直驚いていた。

 「燈花(とうか)様?燈花(とうか)様、大丈夫ですか?何か知っておられますか?」


 いつも冷静沈着な冬韻(とういん)が取り乱している。

 「あっあぁ…、ごめんなさい何もわからないわ。でもじき日が暮れるでしょ?もう屋敷に戻っているんじゃない?」

 「いえ、この小墾田宮(おはりだのみや)から、屋敷に通じる道はここしかなく、会わなかったということはまだ屋敷にはお戻りになっていないかと…はて、困りました。どこに行ってしまったものか…燈花(とうか)様、何か心あたりがある場所はありませんか?」

 「そんなあなたがわからないのに、私がわかるはずないっ…」

 そうだ…深田池…以前馬で一度だけ山代王さまと行った事がある。あの時…あの池の畔が心が落ち着くからとても好きだと言っていた…一人で考え事をする時に来るとも言ってた…

 「小彩(こさ)先に帰っていて」

 「冬韻(とういん)様、馬をかしてくださる?」

 「う、馬ですか⁉︎」

 冬韻(とういん)から馬をかりると、ピョンと飛び乗り駆け出した。こんな時に不謹慎かもしれないが、山代王から乗馬を習っておいて良かったと心から思った。

 「燈花(とうか)様~」

 後ろから小彩(こさ)の叫び声がいつまでも耳に響いた。