「燈花(とうか)様~絶好の機会ですよ!!女人にとって、こんな幸せな事、一生に一度も起こりませんよ!だって。大王様の妃ですよ!!」

 案の定、小彩(こさ)は話を聞くと、自分の事のように目を輝かせ鼻を膨らませ興奮している。私も現代では現実を良く知る大人の女だ。小彩(こさ)の言う意味もよくわかる。その選択をすれば、たとえ現代に戻れなかったとしてもこの飛鳥の地で生涯にわたり安心安定な生活が保障され危険ともひもじさとも無縁だろう、、。でも、理屈ではなく私の心がストップをかけている。

 「何度も言うけど、そんな簡単な事ではないのよ…私も複雑な事情があるし、それに…自分の気持ちもよくわからないし…」

 大の大人なのに情けないが、本当に自分の気持ちがわからなかった。月が高く昇っても私たちの会話は終わらなかった。



 コンコン、コンコン

 大王の部屋の戸を叩く音が廊下に響いた。

 「こんな夜更けに誰だ?」

 「兄上、私でございます」

 「…山代王か?、、入りなさい…。こんな夜更けにどうしたのだ?…ファァ…」

 眠い目をこすりながら、むにゃむにゃと大王が聞いた。

 「も、申し訳ありません。…でもどうしても申し上げたいことがあり、恥ずかしながらこのような夜更けに無礼を承知でやって参りました」

 「なんなのだ?」

 蝋燭の灯りがチラチラと山代王の顔を照らしている。眉間にいくつものシワを寄せいつになく深刻な顔つきだ。そして突然額を床につけて言った。

 「兄上にウソを申しておりました」

 「ウソ?」

 「はい…燈花(とうか)がつけている指輪は、確かに私の母のものでございます。大分前に友の証として贈りましたが、今日、兄上と燈花(とうか)が王妃さまの庭で話しているのを見かけ…自分の気持ちに気がつきました…ずっと大切な友だと思っておりましたが、違っていたようです。友ではなく、それ以上の存在であると、今日、確信いたしました。…彼女を慕っております」

 「な、なんと山代王よ…」

 

 「今まで一度も兄上に逆らった事も、何かを欲した事もありません。しかし…燈花(とうか)だけは私の側に置かせて下さい」

 山代王はまだ床に額をつけたまま顔を上げない。

 「…しかし、年を越し新年となればそなたは阿部家令嬢紅衣(こうい)との婚姻が決まっているではないか、先王の最後の遺言でもあるのだ。この縁談は王室の基盤を磐石なものにするためにも、絶対に破談には出来ない。そなたが一番わかっているだろう?それに、燈花(とうか)は中宮様の後ろ盾があったとしても身分が低い為正室にはなれぬぞ?」

 「はい、承知の上です。十分理解しております。阿部家との婚姻は破綻にはいたしません。正直に全て話し、私の気持ちを受け入れて欲しいのです。私の心は燈花(とうか)だけのものです」

 大王はしばらく黙ったのち、深いため息と共に言った。

 「…そうか。それほどまでに、あの者を慕っているのだな。なれど…ふぅ〜む、、あと数日で飛鳥の宮殿にもどる。戻り次第もう一度よく考えるゆえ、今日はもう部屋に戻りなさい」

 「…はい…」

 山代王はやっと顔を上げると、深刻な顔つきのまま部屋を出た。帰り道、彼もまた人の心とは誠にわからないものだと実感していた。

 (燈花(とうか)と、共に生きてゆきたいけれど、彼女の気持ちはわからない…兄上を慕っているやも…)

 山代王もまた、部屋に戻ると空高く昇った月をしばらく眺めていた。



 
 飛鳥の都に戻る日がやってきた。私たちは朝早くからバタバタと帰る用意や積み荷の準備をしていた。先日、林で収穫した木の実や、柿やみかんなど王妃からもらった果実やらで帰りの馬車は荷物で一杯だった。全ての荷物を部屋から出し終えた時、ふっと寂しい気持ちに襲われた。つかの間の滞在ではあったが色々な出来事があり、忘れようにも忘れられない思い出深い地となってしまった…。

 また、いつかこの地に来られるだろうか?またあの美しい山茶花の林の中を歩けるだろうか?あの湯も現代でも残っているだろうか…

 飛鳥の都までの帰り道がとても長く感じた。まだか、まだかと思い外の景色を見ながら腰をさすったが、なかなか到着しない。一方で大王に顔を合わせずに済むと思うと、少しホッとしていた。そして何故か無邪気に笑う山代王の事をぼんやりと考えていた。

 彼の事はずっと弟のように感じていた。今の私は十代半ばの小娘だが現代の年でいえば私の方が確実に年上だ。しかも5、6歳は上だと思う。何故こんなに彼の事を考えてしまうのか全然わからなかった。