翌日も雲ひとつない快晴だった。
「燈花さま、もう行かれるのですか?送りの馬車を用意しますか?」
朝の仕事を終えた小彩がやってきて言った。
「ありがとう、大丈夫よ、天気も良いし歩いてゆくわ」
「そうですか、気をつけて下さいね。それにしても馬に乗るなんて燈花さまも変わったお方でございます、普通は殿方が乗るものなのに」
小彩が物珍しいものを見るように私を見て言った。
「あら、そんなこともないわよ東国では淑女も馬に乗り颯爽と野を走るものよ」
適当に誤魔化そうと思い、嘘も方便のつもりで強めに言ったのだが、
「燈花さま、随分楽しそうでございますね」
小彩はニヤニヤしながら私を見て言った。私の睨みは全く効かなかった。彼女の方が精神年齢は私よりも上なのかもしれない。待ち合わせの時間はまだ先だったが、早めに橘宮を出た。
飛鳥川沿いをゆっくりと歩きながら槻木の広場を目指した。
この辺りは欅木が生えているし、ここが広場かしら?飛鳥寺の塔もこんなにまじかで見るのは初めてだわ、朱色が美しいわね…まだ、山代王様は来てないみたいね…
一度だけ子供の頃、近所にある小さな動物園でポニーに乗った事があったが、それ以来なのでほぼ初めてと同じだ。当然馬になど乗ったことはない。木陰に座って山代王が来るのを待った。
パカッパカッ、パカッパカッ、ヒヒィーン、、
「燈花、待たせたな」
少しすると山代王が毛並みの美しい濃い茶色の馬に乗ってやってきた。後ろには二人の従者らしき男達と冬韻の姿があった。従者の一人が別の小柄な馬の手綱を持っている。
「昨日話した駿馬だ。王妃様が贈って下さったのだ。良い馬であろう?」
「はい。馬のことはよく存じませんが毛並みに光沢がありつややかで美しいです」
「そうであろう」
山代王は、満足気な表情をした後、馬の頭を優しく撫でた。そして馬から降りると駿馬を別の従者に預け、もう一頭の小柄な馬の手綱をひいてきた。
「さぁ、近くに寄って頭を撫でてみて、怖がらずに」
「えっ⁉︎は、はぃ」
恐る恐る近寄り勇気を出してそーっと頭を撫でてみた。馬は少しだけ顔を上げると真っ黒に濡れた瞳で大人しく、じぃっと見つめ返してきた。
「よし、ここまでは順調だ。早速乗ってみよう」
「もう、ですか⁉︎」
「大丈夫、おとなしい馬だし、今までに暴れたことはない。私が支えるゆえ乗ってみなさい」
「…はぃ」
やるしかない…恐怖を押し殺し覚悟を決めた。山代王と冬韻に助けてもらいだいぶ苦戦したがなんとか馬の背に乗る事ができた。
「はぁはぁ、やっと乗れた、、」
乗る前から汗だくだ。一日分の気力を使い果たした。山代王が手綱をゆっくりとひくと、馬は大人しくパカパカと歩きだした。
「景色はよく見えるか?」
山代王が呼び掛けてきたが、なにしろ乗馬は初めてだったし、落ちないように必死でしがみついていたので、景色を見るどころではなかった。でも広場を三周位すると少し慣れてきたのか、心に余裕が出来てきた。
「山代王様、乗馬思ったよりも楽しいですわ!」
私が叫ぶと、
「アッハッハッハッ、そうこなくては」
と山代王は大声で言い、ひょいっと自分の駿馬にまたがると、風のように広場の中を走りだした。
私達は日暮れまで馬に乗っていた。西の空が真っ赤になり始めると、
「燈花そろそろ日が暮れるゆえ、今日は終わりにしよう。そなた筋が良いぞ、直ぐに馬も乗りこなすであろう。宮の前まで送るゆえ私の馬の後ろに乗りなさい」
と、山代王が言い手を差し出した。
「はい…」
彼は私の実年齢よりも年下のはずだけど、なんだか頼もしく感じた。そして彼の心遣いに甘え宮の前まで送ってもらった。
「今日はありがとうございました。また乗馬を教えてください」
「もちろんだ、では…明後日もまた同じ場所で待ち合わせよう、良いか?」
「はい、喜んで参ります。では失礼いたします」
「待って」
山代王はそう言うと、ポケットからゴソゴソと朱色の絹の袋を取り出した。袋の中からなにやら取り出すと私の手のひらにそれを握らせた。固い…握りしめた手を開いてみると緑色の美しい翡翠の指輪がキラキラと光った。
「えっ、これは?」
私は驚いて尋ねた。
「そなたの髪飾りを探せなかったであろう?先日、市に行った際に運良く見つけたのだ」
「でもこの時代…」
しまった…。私は慌てて手で口を押さえ言い直した。
「でも、この翡翠は大変高価で貴重な品のはず。卑しい身分の私には分不相応でございます」
「ははっ、そう言うと思っていた。これは大唐から来た商人より実に安く買ったのだ。この深く美しい緑がそなたに合うと思って、凄く値切って買ったから安心せよ」
「しかし、…頂く理由がありません」
「そなたと私の友好の証だ、持っていておくれ」
「…しかし」
「では、明後日にまた会おう」
そう言うと、山代王は馬にまたがり振り返りもせずに夕焼けの中を帰っていった。
「燈花さま、もう行かれるのですか?送りの馬車を用意しますか?」
朝の仕事を終えた小彩がやってきて言った。
「ありがとう、大丈夫よ、天気も良いし歩いてゆくわ」
「そうですか、気をつけて下さいね。それにしても馬に乗るなんて燈花さまも変わったお方でございます、普通は殿方が乗るものなのに」
小彩が物珍しいものを見るように私を見て言った。
「あら、そんなこともないわよ東国では淑女も馬に乗り颯爽と野を走るものよ」
適当に誤魔化そうと思い、嘘も方便のつもりで強めに言ったのだが、
「燈花さま、随分楽しそうでございますね」
小彩はニヤニヤしながら私を見て言った。私の睨みは全く効かなかった。彼女の方が精神年齢は私よりも上なのかもしれない。待ち合わせの時間はまだ先だったが、早めに橘宮を出た。
飛鳥川沿いをゆっくりと歩きながら槻木の広場を目指した。
この辺りは欅木が生えているし、ここが広場かしら?飛鳥寺の塔もこんなにまじかで見るのは初めてだわ、朱色が美しいわね…まだ、山代王様は来てないみたいね…
一度だけ子供の頃、近所にある小さな動物園でポニーに乗った事があったが、それ以来なのでほぼ初めてと同じだ。当然馬になど乗ったことはない。木陰に座って山代王が来るのを待った。
パカッパカッ、パカッパカッ、ヒヒィーン、、
「燈花、待たせたな」
少しすると山代王が毛並みの美しい濃い茶色の馬に乗ってやってきた。後ろには二人の従者らしき男達と冬韻の姿があった。従者の一人が別の小柄な馬の手綱を持っている。
「昨日話した駿馬だ。王妃様が贈って下さったのだ。良い馬であろう?」
「はい。馬のことはよく存じませんが毛並みに光沢がありつややかで美しいです」
「そうであろう」
山代王は、満足気な表情をした後、馬の頭を優しく撫でた。そして馬から降りると駿馬を別の従者に預け、もう一頭の小柄な馬の手綱をひいてきた。
「さぁ、近くに寄って頭を撫でてみて、怖がらずに」
「えっ⁉︎は、はぃ」
恐る恐る近寄り勇気を出してそーっと頭を撫でてみた。馬は少しだけ顔を上げると真っ黒に濡れた瞳で大人しく、じぃっと見つめ返してきた。
「よし、ここまでは順調だ。早速乗ってみよう」
「もう、ですか⁉︎」
「大丈夫、おとなしい馬だし、今までに暴れたことはない。私が支えるゆえ乗ってみなさい」
「…はぃ」
やるしかない…恐怖を押し殺し覚悟を決めた。山代王と冬韻に助けてもらいだいぶ苦戦したがなんとか馬の背に乗る事ができた。
「はぁはぁ、やっと乗れた、、」
乗る前から汗だくだ。一日分の気力を使い果たした。山代王が手綱をゆっくりとひくと、馬は大人しくパカパカと歩きだした。
「景色はよく見えるか?」
山代王が呼び掛けてきたが、なにしろ乗馬は初めてだったし、落ちないように必死でしがみついていたので、景色を見るどころではなかった。でも広場を三周位すると少し慣れてきたのか、心に余裕が出来てきた。
「山代王様、乗馬思ったよりも楽しいですわ!」
私が叫ぶと、
「アッハッハッハッ、そうこなくては」
と山代王は大声で言い、ひょいっと自分の駿馬にまたがると、風のように広場の中を走りだした。
私達は日暮れまで馬に乗っていた。西の空が真っ赤になり始めると、
「燈花そろそろ日が暮れるゆえ、今日は終わりにしよう。そなた筋が良いぞ、直ぐに馬も乗りこなすであろう。宮の前まで送るゆえ私の馬の後ろに乗りなさい」
と、山代王が言い手を差し出した。
「はい…」
彼は私の実年齢よりも年下のはずだけど、なんだか頼もしく感じた。そして彼の心遣いに甘え宮の前まで送ってもらった。
「今日はありがとうございました。また乗馬を教えてください」
「もちろんだ、では…明後日もまた同じ場所で待ち合わせよう、良いか?」
「はい、喜んで参ります。では失礼いたします」
「待って」
山代王はそう言うと、ポケットからゴソゴソと朱色の絹の袋を取り出した。袋の中からなにやら取り出すと私の手のひらにそれを握らせた。固い…握りしめた手を開いてみると緑色の美しい翡翠の指輪がキラキラと光った。
「えっ、これは?」
私は驚いて尋ねた。
「そなたの髪飾りを探せなかったであろう?先日、市に行った際に運良く見つけたのだ」
「でもこの時代…」
しまった…。私は慌てて手で口を押さえ言い直した。
「でも、この翡翠は大変高価で貴重な品のはず。卑しい身分の私には分不相応でございます」
「ははっ、そう言うと思っていた。これは大唐から来た商人より実に安く買ったのだ。この深く美しい緑がそなたに合うと思って、凄く値切って買ったから安心せよ」
「しかし、…頂く理由がありません」
「そなたと私の友好の証だ、持っていておくれ」
「…しかし」
「では、明後日にまた会おう」
そう言うと、山代王は馬にまたがり振り返りもせずに夕焼けの中を帰っていった。