ちょうど部屋を出ようとした時だ。戸口の少し上の壁に白い布に刺繍が施された絵が飾られているのが目に留まった。用紙で言えばA3位の大きさだ。布には数人の大人と数人の子ども達が蹴鞠をする様子が描かれている。

 「中宮様、この刺繍画を拝見させて頂いても宜しいですか?」

 何故かその刺繍画に心を惹かれてしまい、どうしても手に取りまじかで見たかった。

 「ふむ、構わぬが…」

 そう言うと中宮は、すぐに使用人を呼びよせ刺繍画を外して見せてくれた。

 「ここではよく見えぬから、さっきいた部屋に戻りじっくり見てみよう」

 そして、三人でさきほどの部屋に戻ると中宮は用意された熱いお茶を入れ、刺繍画をしばらく見つめたあとゆっくりと話し出した。

 「これは十年以上前に宮中の釆女たちに作らせた刺繍画だ。この縁台に座っているのが私で隣で笑っているのが息子の皇子だ。イチョウの木の側で蹴鞠を見ているのが先代の大王で、毬を蹴っているこの若い青年が茅渟王(ちぬおう)、それを追っているこの少年が山代王だ…二人とも鬼のような形相であるな「

 中宮が懐かしむように微笑んだ。

 「やだ、中宮様、本当でございますね。なれどお二人共愛らしいお姿です」

 小彩(こさ)が言った。私も幼き頃の大王と山代王の姿を想像し思わず笑ってしまった。

 「今日のように天気の良い清々しい秋の日だった。あとここにいるツンとした童がな…」

 と中宮が言いかけた時だ、廊下からバタバタと走る音がし部屋の前でピタッと止まった。

 「中宮様よろしいですか?」

 「何事だ」

 「はい、今、屋敷前に大王様と山代王様がおいでになっております、お会いになられますか?」

 「真に大王が来ているのか⁉︎」

 「はい」

 「なんという奇遇じゃ…通しておくれ」

 中宮の顔は驚きの表情と共に一気にぱぁっと明るくなり、使用人の男と共に部屋を出て行った。

 大王様と山代王様がお目えなのね、丁度良かったわ。この場をかりて先日のお礼をしなきゃ…

 ほどなくして隣の部屋から声が聞こえてきた。

 「中宮様、ご無沙汰しております。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、お身体の具合はいかがですか?」

 『大丈夫、案ずることはない、それよりも軽皇子(かるのみこ)の具合はよくなったのか?』

 「はい、熱もひき、粥も食べ、回復しております。ご心配をおかけいたしました」

 「そうか、良かったそれを聞いて安心した」

 「ところで客人が来ていると聞きました。お邪魔しては申し訳ないのでまた日を改めてご挨拶に参ります」

  「ハッハッ~良いのだ、そなた達も知っている者だ。共に熱いお茶を飲もう」

 「知っている?」

 そう言うと中宮は仕切られていた襖を開けた。大王と山代王が呆然とこちらを見て驚いている。なんだか気恥ずかしくて、思わず下を向いた。

 「燈花(とうか)ではないか⁉︎なんという奇遇なのだ!」

 山代王が驚いた声で言った。

 「山代王様、大王様、先日は危ない所を助けて下さり誠にありがとうございました。お礼のご挨拶が遅くなり申し訳ありません。この場をおかりして心より感謝の気持ちをお伝えいたします」

 二人を正面にして深々と拝礼をした。

 「何を言うのだ、さぁ立ちなさい」

 大王は急いで私の側にくると、手を取り立ち上がらせた。

 「そなたこそ山でイノシンに襲われたと聞いたぞ、足の怪我は大丈夫か?」

 「はい。大王様が下さった貴重な薬のお陰で、すっかり良くなりました。軽皇子(かるのみこ)様の具合も良くなられたようで安心いたしました」

 「皇子は大丈夫だ。そなたが医官に指示した処方と摘んできてくれた葛根が良く効いたのだ。こちらこそ礼を申すぞ」

 「さようでございますか、、良かった…」

 大王の後ろで山代王が優しくこちらに向かい微笑んでいるのが見えた。

 「山代王様、お風邪などはひいていませんか?心配しておりました」


 「私の体は見た目よりも丈夫なのだ。病などかからぬ」

 山代王がすまして言ってきたので、思わずクスッと笑ってしまった。


 「ところで中宮様、門の外で待っている間に笑い声が聞こえました。何か楽しい話でもされていたのですか?」

 大王が尋ねた。

 「そうなのだ。そなたらにとっても、懐かしい物を見ていたのだ」

 「懐かしいものでございますか?どれどれ?」

 二人は刺繍画を覗きこんだ。

 「あ~これは懐かしい!秋祭りの時のものですね。山代王見てみろ、お前はまだはな垂れの小僧だぞ」

 大王が意地悪そうに山代王を見て笑った。

 「これが私ですか?随分とおぞましい顔に見えますが…」

 「私もお前も林太郎(りんたろう)の毬を取るのに必死だったのだろう」

 「林太郎(りんたろう)?」

 この口からまた余計な言葉が出た。

 「この表情ひとつかえずに毬を持っている童が林太郎(りんたろう)だ、年はわれわれの中で一番年下だが、なかなかの切れ者だ。実に動きが早く先を読むのが得意だから大の大人でさえも毬を奪うのに一苦労だ。そなたはまだ会ったことはないのでは?年は少し離れているが、林太郎(りんたろう)は我ら兄弟と共に育った長年の知己だ」

 「さようでございますか」

 「兄上、これは父上ですか?…」

 山代王が日十大王(ひとだいおう)を指して言った。

 「そうだ、そなた達の父上だ」

 中宮が間髪入れずに答えた。

 「二人ともお父上のような、立派な人間にならなくてはいけないよ」

 中宮が優しい眼差しを向けて言った。

 「はい、常に肝に命じております」

 二人はさっきまでのはしゃいだ顔とは打って変わり真剣な眼差しで中宮を見つめ返した。