「どうしたのだ?」
突然男の声が背後から聞こえた。驚いて振り返ると小墾田宮で会った青年が部屋の戸口の前に立っていた。そう、彼は山代王だ。私の涙に気がついた彼は急に表情を変え、焦った口調で言った。
「なぜ泣いているのだ?」
「えっ…あっ、あの私…」
山代王の急な登場に気が動転してしまい言葉が全然出てこない。
「先日、小墾田宮でそなたを見かけた。中宮様からもそなたの話を聞いた。中宮様とは深い縁があるとか…ところでなぜ泣いているのだ?」
「いゃ…その…」
「故郷が恋しいのか?」
「えっ⁉︎」
「そなたは、はるか東国より参ったと聞いた」
優しい声だ。
「…はい、そうなのです。故郷のことを思っておりました」
「そうであったか…都にきてまだ日が浅いのであろう?じき都の暮らしにも慣れよう。…ここは誰も来ない、好きなだけ泣くといい」
実年齢でいったら確実に私の方が上だと思うが、彼の大人びた口調に微塵も違和感を感じなかった。
「ありがとうございます。あっ、あとこの包を山代王様にお渡しするように中宮様より仰せつかりました」
持っていた包みを手渡すと、山代王はその場に座り、静かに開け始めた。中から沢山の白い粉をふいた干し柿が見えた。
「私と兄上の好物だが久しく食べていなかった
…」
山代王はじっとその干し柿をみつめ感慨深げに言った。
「そなたは、よほど信頼されているのだな。中宮様は私にとっても家族同然、とても大切なお方だ。是非とも側で支えて欲しい」
山代王が真っ直な瞳で私を見て言った。若いながらも意思を強く持った凛々しさと澄んだ瞳だ。その大人びた眼差しにどきっとして、思わず目を逸らした。
「はい…」
とだけ答えるのが精一杯だった。ちょうどその時、外から笛の音と太鼓の音が聞こえてきた。中庭にある舞台の上に面を被った数人の少年達の姿が見えた。
「そなた伎楽を見たことはあるか?」
「えっ⁉︎」
「近くで見てみよう」
山代王は突然そう言うと私の手を力強く引き外へと連れ出した。手を引かれるがままに屋敷から出ると、来客でいっぱいの中庭をするするとすり抜けた。来た時よりも沢山の人で溢れかえっている。気づくと舞台が目の前の場所にまで来ていた。どうやら特別な場所なのか地面には赤い敷物が敷かれている。敷物の上にはちゃぶ台のような長机が一列に並べられていて、その上には魚や果物などの食べ物や酒が置かれていた。
「山代王よ」
低い声が聞こえ顔を上げると、山代王よりも一回り位年の離れたであろう男が目の前に立っていた。凛々しい顔立ちと、優しい目元が山代王にそっくりな立派な大人の男性だ。
美しい藍色の衣をまとい、金色の糸で刺繍された鳳凰が衣の上で美しくて舞っている。頭にはやはり小さな金色の冠がのっていての赤や青や黄色の小さな宝石が均衡にちりばめられている。彼の後ろには何人もの臣下らしき男達が立っている。
「兄上!どうして?お身体の具合が優れぬと聞きしましたが、大丈夫ですか?部屋に戻られた方が良いのではありませんか?」
えっ?兄上ってことは…まさか、茅渟王?
「いや、だいぶ良くなったのだ…しかし今日は唐の皇帝陛下即位の祝いも兼ねた重要な宴だ…」
「はい、それは十分に承知しておりますが…」
「ところでこの者は?」
茅渟王の視線が急に私に向けられたので、驚いて思わず下を向いた。
「はい、橘宮の女官ですが、この度は中宮様の使いで参ったようです。兄上と私の好物の干し柿を中宮様より頂きました」
山代王が即座に答えると、
「そうか小墾田宮からとは珍しいな、中宮様こそお体の具合がすぐれぬと聞いたが…」
茅渟王はそう言うと、ずっとこちらを見ている。そう、私に聞いているのだ。
「は、はい、大分良くなられたご様子ですが、ご高齢なので回復にはまだ時間がかかるとの事です」
私はうつむいたまま冷静を装い淡々と答えた。
「そうか…大事ないと良いのだが…近いうちに参内すると申し伝えてくれぬか?」
「はい、承知いたしました」
とても不安だった。こんなに飛鳥時代の皇族らしき人達と知り合ってしまっても問題はないのだろうか?歴史は変わらないのだろうか?
いくつもの疑問がよぎった。でも中宮の後ろ楯がなければとっくに殺されていたと思うと、少し歴史が変わったとしても、誰からも恨まれる筋合いはないと開きなおった。
突然男の声が背後から聞こえた。驚いて振り返ると小墾田宮で会った青年が部屋の戸口の前に立っていた。そう、彼は山代王だ。私の涙に気がついた彼は急に表情を変え、焦った口調で言った。
「なぜ泣いているのだ?」
「えっ…あっ、あの私…」
山代王の急な登場に気が動転してしまい言葉が全然出てこない。
「先日、小墾田宮でそなたを見かけた。中宮様からもそなたの話を聞いた。中宮様とは深い縁があるとか…ところでなぜ泣いているのだ?」
「いゃ…その…」
「故郷が恋しいのか?」
「えっ⁉︎」
「そなたは、はるか東国より参ったと聞いた」
優しい声だ。
「…はい、そうなのです。故郷のことを思っておりました」
「そうであったか…都にきてまだ日が浅いのであろう?じき都の暮らしにも慣れよう。…ここは誰も来ない、好きなだけ泣くといい」
実年齢でいったら確実に私の方が上だと思うが、彼の大人びた口調に微塵も違和感を感じなかった。
「ありがとうございます。あっ、あとこの包を山代王様にお渡しするように中宮様より仰せつかりました」
持っていた包みを手渡すと、山代王はその場に座り、静かに開け始めた。中から沢山の白い粉をふいた干し柿が見えた。
「私と兄上の好物だが久しく食べていなかった
…」
山代王はじっとその干し柿をみつめ感慨深げに言った。
「そなたは、よほど信頼されているのだな。中宮様は私にとっても家族同然、とても大切なお方だ。是非とも側で支えて欲しい」
山代王が真っ直な瞳で私を見て言った。若いながらも意思を強く持った凛々しさと澄んだ瞳だ。その大人びた眼差しにどきっとして、思わず目を逸らした。
「はい…」
とだけ答えるのが精一杯だった。ちょうどその時、外から笛の音と太鼓の音が聞こえてきた。中庭にある舞台の上に面を被った数人の少年達の姿が見えた。
「そなた伎楽を見たことはあるか?」
「えっ⁉︎」
「近くで見てみよう」
山代王は突然そう言うと私の手を力強く引き外へと連れ出した。手を引かれるがままに屋敷から出ると、来客でいっぱいの中庭をするするとすり抜けた。来た時よりも沢山の人で溢れかえっている。気づくと舞台が目の前の場所にまで来ていた。どうやら特別な場所なのか地面には赤い敷物が敷かれている。敷物の上にはちゃぶ台のような長机が一列に並べられていて、その上には魚や果物などの食べ物や酒が置かれていた。
「山代王よ」
低い声が聞こえ顔を上げると、山代王よりも一回り位年の離れたであろう男が目の前に立っていた。凛々しい顔立ちと、優しい目元が山代王にそっくりな立派な大人の男性だ。
美しい藍色の衣をまとい、金色の糸で刺繍された鳳凰が衣の上で美しくて舞っている。頭にはやはり小さな金色の冠がのっていての赤や青や黄色の小さな宝石が均衡にちりばめられている。彼の後ろには何人もの臣下らしき男達が立っている。
「兄上!どうして?お身体の具合が優れぬと聞きしましたが、大丈夫ですか?部屋に戻られた方が良いのではありませんか?」
えっ?兄上ってことは…まさか、茅渟王?
「いや、だいぶ良くなったのだ…しかし今日は唐の皇帝陛下即位の祝いも兼ねた重要な宴だ…」
「はい、それは十分に承知しておりますが…」
「ところでこの者は?」
茅渟王の視線が急に私に向けられたので、驚いて思わず下を向いた。
「はい、橘宮の女官ですが、この度は中宮様の使いで参ったようです。兄上と私の好物の干し柿を中宮様より頂きました」
山代王が即座に答えると、
「そうか小墾田宮からとは珍しいな、中宮様こそお体の具合がすぐれぬと聞いたが…」
茅渟王はそう言うと、ずっとこちらを見ている。そう、私に聞いているのだ。
「は、はい、大分良くなられたご様子ですが、ご高齢なので回復にはまだ時間がかかるとの事です」
私はうつむいたまま冷静を装い淡々と答えた。
「そうか…大事ないと良いのだが…近いうちに参内すると申し伝えてくれぬか?」
「はい、承知いたしました」
とても不安だった。こんなに飛鳥時代の皇族らしき人達と知り合ってしまっても問題はないのだろうか?歴史は変わらないのだろうか?
いくつもの疑問がよぎった。でも中宮の後ろ楯がなければとっくに殺されていたと思うと、少し歴史が変わったとしても、誰からも恨まれる筋合いはないと開きなおった。
