「さぁ、行きましょう」

 私が得意げな顔で言うと猪手(いて)は目をパチパチとさせ驚いたが、私が馬をパカパカと歩かせると、

 「はぁ…仕方ありませんね。ゆっくり参りましょう」

 と言い、私達は出発した。朝の風はまだ冷たく頬に当たるとぴりぴりとした。
 山と山の間を通り抜けるとのどかな田園風景が広がった。鳥のさえずりがあちこちから聞こえ、田畑は小さな新芽がびっしりと芽吹いている。早春の穏やかな陽ざしの中しばらく進むと、猪手(いて)が振り返り大声で叫んだ。

 「燈花(とうか)様!あの山を越えたらすぐです!休憩しますか?」

 「大丈夫よ!」

 私達はそのまま馬を走らせた。山を抜けると目の前が開け、広い野原に出た。

 

  パカッパカッ、

 「止まれ!」

 先を行く猪手(いて)が手綱を引き大声で叫ぶと、馬はゆっくりと止まった。遠くに人が集まっているのが見えた。その中には林臣(りんしん)の姿もある。私は馬を降りると猪手(いて)と共に彼のもとへと向かった。

 「若様、今到着いたしました」

 猪手(いて)が言った。私は彼の後ろに立ち軽く頭をさげた。林臣(りんしん)はチラッと私を見て言った。

 「思ったよりも来るのが早かったな」

 「はい、燈花(とうか)様が馬に乗ることができましたので…」

 林臣(りんしん)は私が乗っていた馬を黙って見つめた後言った。

 「この土地にはそなたの好む山菜野草がたんまりある、好きなだけ摘んでいくといい」

 「はい…」

 「猪手(いて)、弓の準備はできているぞ。早速始めよう」

 「はっ!!」

 野原の奥に藁でできた人形が等間隔で何体か立っている。二人はそれに向かい行ってしまった。私は持ってきた籠を馬から降ろし周りを見渡した。

 「あっタラの芽!ふきのとう!こごみもある!」

 春の山野は雪解けと共に若々しい新芽でいっぱいだ。この季節しか味わえない食材の宝庫を前に私は嬉しくてぴょんぴょんと飛び上がった。一気にテンションが上がりすぐに大好きな野草摘みを始めた。

 どれくらい時間がたったのかわからないが、お腹がグーグーとなり始めた。籠はもちろんもういっぱいだ。中からセリの香りがプーンと漂った。

 あぁ、お腹がすいた…なにか食べよう。小彩(こさ)から渡された包みを開くと中は玄米の握り飯と横にきゅうりの塩漬けが添えられていた。

 適当な平らな場所を見つけたあと、小さなござを広げ食事を始めた。遠くに林臣(りんしん)猪手(いて)の姿が見えた。二人は臣下達と共に弓の弦をパチンパチンと引っ張っている。
 林臣(りんしん)が私の姿に気づいたのかこちらに向かって歩いてくる。私の前までくると足を止め籠いっぱいの山菜に視線を落とした。

 「沢山摘んだな、なれど毎日山菜料理では飽きてしまう」

 この少し嫌味を含んだ言い方にもだいぶ慣れたのか特になんとも思わなくなった。

 「十種類以上あるので沢山の料理方法があるのです。例えばお浸しや、塩漬け、あと天ぷらもあります!」

 あっ、天ぷらは無理だ…と心の中で叫んだが林臣(りんしん)は全く興味がないのか自分の弓と矢を見つめている。

 「そなたも、矢を射ってみるか?」

 「えっ?」

 「普通の女人であれば、馬を乗りこなすことはないし矢を射ることもないが…そなたは他の女人と違い変わり者であるし、何よりも筋が良い。ついてこい」

 「えっ?…」

 弓道みたいな感じかしら…やったことないけど…。

 戸惑いながらも林臣(りんしん)の後ろについて行くと草の上に置いてあった小振りの弓と矢を渡された。彼は私の背後に回ると私の両腕を持ち上げた。

 「一つ一つの動作を正確に、背筋を伸ばし、まずは射る先を見よ。次に正面を向き手元をしっかりみて手を置く。中指と薬指を弦にかけ、人差し指と親指で矢をつまめ、そのまま再び物見をして、ゆっくりと肘を張る…」

 背後で林臣(りんしん)も一緒に弓を引いてくれたが、とにかく重い。弦は固く、矢をつかんでいる指もちぎれそうなほど痛い…限界、もう無理…と、思った瞬間ビュンと音が鳴り矢が前方、野原の上を真っ直ぐに飛んで行った。信じられない…

 「り、林臣(りんしん)様⁉︎」

 私が目を丸くし驚いた表情で振り返ると、

 「フフッ…」

 林臣(りんしん)は満面の笑みを浮かべ肩をすくめて笑った。緩んだ口元の口角はキュッと上がり屈託のない少年のような笑顔だ。

  …林臣(りんしん)様の笑った顔、初めて見た…

 私はなんだか妙に感動してしまい、不覚にも彼の笑い顔に見入ってしまった。

 「そなた、やはり筋が良い。練習すれば良い弓手となろう」

 「り、林臣(りんしん)様、お忘れかもしれませんが…私も一応…女人でございます。何の為に弓を引く練習をするのかわかりませんが…でもとても気持がすっきりして良い気分です」

 「であろう。弓を放てばそなたの憂いも少しは晴れよう。さぁ、見ているからもう一度やってみよ」

 心の憂いを彼に話した記憶はないが、この爽快感はこの古代ではなかなか味わえない。乗馬ともまた違う。私は彼に言われるがままに再び弓と矢を持った。