手を洗って、部屋に直行。


 少し濡れてしまった毛先をタオルで拭きつつ、部屋着に着替えるのもままならないまま、ベッドにもつれこむ。






 ……やばい。顔が、熱い。

 手を当てると、湯気でも出てきそうなほどだ。




 これが、風邪の(たぐい)のせいじゃないことくらい、十分に承知している。
 



「……やっちゃった」




 一人きりの空間に、私の吐息が融けていく。





 ブラウニー。
 不注意。
 謝罪。




 心当たりがありまくりすぎる単語が、これ見よがしに、頭のあっちへ行ったり、こっちへ来たり。


 忙しなく動き回るものだから、私は身悶える。




 あああっ。

 今思い出せば、ずいぶんと大胆なことをしでかしたものだ。




 ごろん、と仰向けに転がった拍子に、勉強机の横の棚が目に入る。

 並ぶ背表紙は、ほとんど少女漫画のタイトル。




 何気なく、一冊手にとってページを繰る。

 目に入ってくるのは、イケメンくんの甘いセリフ。





 
『何、え、本当大丈夫』



 昼間の声が蘇ってきて、少女漫画に出てくるヒーローと重なった。





 
 角を曲がって衝突したら、相手はイケメンでした。
 シンデレラみたいなシチュで、声をかけられました。




 ――なんて、冗談じゃないっ!!


 私はばくばくとものすごい勢いで脈打つ胸を必死に抑え込む。




 やばいやばいやばい、なにあの甘いマスク!
 なにあの透き通った瞳!
 低めの声も、色気ありすぎだってば!


 思いが爆発して、興奮がおさまらない。




「はぁ……っ、やば」




 知世と相合い傘して帰っている途中も、発狂するの、ずっと、ずっと我慢してた。




 だけど今は一人。誰もいない。

 イコール、キャラの崩壊。




 元々イケメンには目がないタチだ。
 それだけは断言できる。

 顔だけ、じゃないし、性格も大事だと思う。
 でも、メンクイなことには変わりない。





「『美味かった』、か……」





 言葉の重みを確かめるように、そっとつぶやく。


 恥ずかしさもあるけれど、でもやっぱり、憧れのシチュエーションに遭遇できたことに対しての喜びのほうが強い。



 これが偶然だって、(つか)の間の幸運だってことは十分承知の上。


 それでも、今は。今だけは。
 この幸せを、噛み締めていたい。




 だってあの、双星くん(・・・・)にだよ?
 彼に、お菓子の出来を褒められたなんて。


 それに、生で会話もしちゃった。
 今までもこれからも、絶対、そんな機会来るはずないって思ってたのに。



 
 恋愛感情とはちょっと違う、無性に湧き上がってくる幸福感。


 もう二度とありえないことだってわかってるからこそ、どうしようもなく、悶えてしまう――。


 




 そう。
 このときの私はまだ知らない。


 もう二度とありえないこと、なんかじゃなかったってことを。