「ーーなるほどな。中でも、この資料作成にはこんなに時間がかかっているのか」


私の話を真剣に聞いてくれた後、顎に手を当てながら加賀見課長がそう呟くので、不思議に思った。特に今まで指摘されたことの無い資料だったからだ。


「気になりますか? 先月は繁忙期の割には作業時間が短縮出来たと思っているんですけど」

「それは単に葉山たちが業務に慣れて仕事が早くなったからだろ。ーー確か再来月だったよな、船岡(フナオカ)が退職するの」


ふと話題に出されたのは、同じ営業事務職の同僚の名前だった。再来月で退職することが決まっている。着任した当時からとてもよくして貰っていたので、退職を知った時は心にぽっかりと穴が空いたような気分になった。


「ああ、はい、そうですね。寂しくなります……」

「そうじゃなくて。新しい人材が入って来るにしても、来ないにしても。葉山の仕事量が増えるのは目に見えているな。残業だってあまりさせたくないし。ネックなのは三課か……」


突然別の課名が出てきて驚いた。確かに私の担当は営業一課だけではなく、他の課の作業も受け持っているけれど、一課の課長が気にすることではないと思っている。


「でも、課ごとにやり方があると思いますし、今までも特に不都合はーー」

「葉山」


私の訴えをよく通る声で制された。単に名前を呼ばれただけだと言うのに、不覚にもドキッとしてしまった。
顔を上げると、真剣な瞳が真っ直ぐこちらを見ている。


「どうせ同じ仕事量をこなすなら、俺は楽をしたいし、皆にもそうして欲しいと思ってる。その為には、全員が今よりも少し考えて行動すればいいだけなんだ。三課の課長には、俺から話しておくよ。……あと」


一旦言葉を切ると、彼のきりっとしていた眉が少しだけ下がった。


「葉山が同僚思いなのも、今のでよく分かった」

「あ……りがとございます」

「なんだそのロボットみたいな喋り方」


加賀見課長は優しい顔で再び笑った。

話は終わったが、熱い思いと気遣いに完全に心を撃ち抜かれて動けずぼうっと立ち尽くしたままの私に彼は、そう言えば、と再び声をかけてきた。


「葉山って、毎朝早いよな。何か理由あるの?」

「え」


突然のその言葉に、今度は頭の中が真っ白になった。今そんなことを聞かれたら、勢いで全てを打ち明けてしまいそうになるけれど。


〝貴方に会いたくて早く出勤していた癖が抜けないんです〟


なんて、勿論言えるはずもなく。


「こっ」

「こ?」

「コーヒーが、飲みたくて……」


加賀見課長は、私が咄嗟に吐いたしどろもどろな言い訳を疑いもせず、ああ、と納得したように言った。


「好きだもんな、コーヒー」


好きなのは、貴方です。

そう言えたら、どんなに良かったことか。