拓斗はエレベーターから降りると、茜の前に立った。

「どうしたの? なにかあった?」
「あ、あの、えっと」
「戸田さん、これからのスケジュールは?」

 隣に立つ戸田に話しかける。スーツ姿の戸田は明快に答えた。

「六時半から所長との打合せが一本入っているだけです」
「わかりました。先に行ってください」

 戸田が礼儀正しく黙礼するのを確認し、拓斗は茜に向き直った。

「たぶん一時間ぐらいで終わると思う。それまで待てる?」
「……うん」
「だったら、この前のファミ……いや、この先にグランバリューホテルがあるから、そこのロビーにあるカフェで待っていてくれない? コーヒーはお代わり自由だから時間を潰せると思う」
「あ、でも、忙しいんじゃ」
「俺も茜に話があるんだ。それもビジネスに関係した大事な話。だからビジネスライクでいきたい。じゃ、一時間後」

 拓斗は軽く手を上げ、奥へと歩いていった。茜はそれを呆然と見送った。

 受付スタッフが立ち上がって拓斗に頭を下げているが、終わると憮然とした顔を茜に向けてくる。茜はそれを他人事のように眺めていた。

 きっかり一時間後、グランバリューホテルのロビーに拓斗が現れた。

「待たせてごめんね」
「うぅん」

 茜の顔が冴えない。拓斗はウエイトレスにコーヒーを注文すると、もう一度待たせたことを謝った。

「島津君のせいじゃないわ」

 そう言って受付でのやり取りを述べる。すると拓斗は爆笑した。

「それは勘ぐりすぎだよ。職業柄、逆恨みされること多し、でね。危険回避のために『アポは絶対必要』ってシステムになってるんだけど、実際はいないことが多いから予約してくれないと会えないんだ。それに本当に相談したいことがある人は誰でもいいわけだし、指名したかったら必ず礼儀重視で電話を入れてくる。もしくは紹介とかさ。だから名指しは受付も警戒するんだ」

「……なるほど」

 それでも茜は納得できなかった。拓斗の話はそうかもしれない。そのことは理解できる。だがあのスタッフの顔に浮かんでいた感情は違うと思った。

 とはいえ、そんなことはどうでもいい。大事なことは今後の生活のことだ。

「あのね、実は正式に相談したいことがあるの」
「離婚問題だろ?」
「え? あ、うん」
「もう調査を開始している」

 一瞬、なんのことかわからずにポカンとなった茜だったが、意味を理解し、頓狂な声を上げた。

「一か月間、藤本健史の素行を調査する。だから茜、一か月、我慢するんだ」
「…………」
「浮気の証拠が掴めたら慰謝料付で別れさせてやる。もし証拠が掴めなかったら、その時は協議離婚で話をつける。俺に任せてほしい」
「島津君……」

 余裕の笑みに、茜は体中の力が抜けていくのを感じた。