「朱里ちゃん、新東京フィルの事務局長から電話があったよ。今回の話、とても有り難いって。あの楽団なら、良いパートナーになりそうだね」
「はい。常任指揮者の東条さんも、お忙しい中、自ら打ち合わせに同席してくださいました。子ども達の為に良い音楽を届けたいとおっしゃって、選曲もしっかり考えたいと」
「へえ、そうなのかい?あのマエストロはまだ若いが、しっかりしているんだな。爽やかでマスコミ受けもいいし、ファンも多いからうちとしても助かるね」

瑛の父は終始にこにこと嬉しそうだった。

「はい。あ、それでおじ様。新東京フィルさんから次の公演のご招待チケットを頂いたんです。2月14日の夜の公演ですが、どうされますか?会場に桐生ホールディングスからお花を贈ろうとは思っていますが」
「うーん、行きたいが難しいと思う。朱里ちゃんは行けそうかい?」
「はい。大丈夫です」
「それなら、瑛と朱里ちゃんで行ってきてくれ」

えっ!と朱里は声を上げる。

「おじ様、それはだめですよ」
「ん?どうしてだい?」
「だって聖美さんがいらっしゃるでしょう?2月14日って、バレンタインデーですよ」
「あー、そうか」

朱里は今度は瑛に話しかける。

「部長。あとでチケットを2枚、フィアンセの方の分もお渡しします。私は一人で行きますので」

すると、瑛の母が驚いたように顔を上げた。

「ええー?朱里ちゃん、瑛のこと部長って呼んでるの?どうして?」

え…と朱里は面食らう。

「それは、職場でそういう立場ですし…」
「たからってそんな、ここは職場でもないのに。ねえ、あなた」
「そうだよ。それにうちの社は外国人スタッフも多いから、皆フランクに名前で呼んでるよ」

朱里は、いえいえと手で否定する。

「うちの部署はこの呼び方で通ってますので」
「まあ、なんだか寂しいわね。それに朱里ちゃん。そのバレンタインコンサート、一人で行くの?どなたか男性をお誘いしたら?」
「いえ、心当たりもありませんし。一人で行きます」

まあ…と、瑛の母は困ったように頬に手をやる。

「それならせめて、菊川が付き添ってちょうだい。朱里ちゃんみたいな年頃の可愛いお嬢さんを、一人でなんて行かせられないわ」

部屋の隅に控えていた菊川が、かしこまりましたと返事をする。

「え?でも、菊川さんは部長とフィアンセをお送りしないといけませんよね?私、本当に一人で大丈夫ですから」

朱里がそう言うと、それまでじっと黙ったままだった瑛が顔を上げた。

「一緒の車で行けばいい。彼女も君に会いたがっているし」
「あ、そうですか…」

朱里としても、ずっと聖美と連絡を取っていないのが気がかりだった。

カルテットの秋のコンサートもクリスマスコンサートも、聴きに来てくれたお礼だけメッセージを送ったが、それ以上のやり取りはしていなかった。

(元気なのかしら?春休みには結納だもんね。準備に忙しくしているのかな)

バレンタインコンサートで会ったら、久しぶりに話をしてみようと朱里は思った。