「マエストロ。こちらは桐生ホールディングスの桐生様と栗田様です。当団に、CSR活動のパートナーとして演奏を依頼してくださった…」

事務局長がそこまで言うと、ああ!と、マエストロは人が変わったように笑顔になった。

「どうも!初めまして。東条 要です。いやー、そちらのような大きな企業に声をかけて頂いて、大変光栄です。音楽をもっともっと広めていきたいと思っておりますので、どうぞよろしく」

そう言って気さくに握手を求めてくれる。

「初めまして、桐生 瑛と申します。こちらこそどうぞよろしくお願い致します」

瑛に続いて朱里も挨拶する。

「は、は、は、初めまして!栗田 朱里と申します!マエストロにお会い出来て、こちらこそ大変光栄に存じます!」

ガチガチになって頭を下げると、マエストロは笑顔で握手してくれる。

「あっ、手!今日は右手を洗えない!」

朱里は握手してもらった右手を、何も触れないように掲げたままじっと見つめる。

「おい、オペ前の医者じゃないんだから」

瑛が横から囁くが、朱里の耳には届かない。
そんな朱里に東条が尋ねる。

「君、ひょっとしてクラシックファンなのかな?」
「は、はい!先日もマエストロのチャイコンを聴かせて頂きました。もう素晴らしくて!思わず涙しました」
「そう、ありがとう」

瑛はそんな二人から視線を逸らして、ひとりごつ。

(涙しましたなんて、そんな綺麗なもんか?顔面崩壊の大号泣だったぞ)

すると東条は事務局長に、次の公演のチラシを持っているかと聞いた。

事務局長が手にしていたファイルから一枚差し出すと、東条は胸ポケットからペンを取り出し、さらさらとサインする。

「クリタさん、だったよね?漢字は普通の栗?」
「は、はい!ビックリのクリです」

は?と東条は固まる。

「あ、普通の栗です。チェスナッツの栗に田んぼです」

見かねて瑛が横から答えた。

「OK、栗田…あかりさんだっけ?」
「ヒーーー!」

ヒー?とまたしても怪訝そうな東条に、瑛が答える。

「朱色の朱に里で、あかりです」
「OK、朱里さん。はい、どうぞ」

東条は笑顔で、裏にサインをしたチラシを朱里に渡す。

「あ、あ、ありがとうございます!ひゃー、私の名前まで!家宝にします!このご恩は決して忘れません!」

胸にチラシを抱きしめ、朱里は何度も頭を下げる。

「どういたしまして。これからもよろしくね、朱里さん」
「は、はい!」

イケメンのマエストロに微笑まれ、朱里はハートを撃ち抜かれたように頬を赤らめた。