美優が目を覚ますと辺りは明るくなっていて、白い天井…白いカーテン…

(…ん?あれ?わたし…昨日バイトが終わって…苦しくなって…知らない男の人に声掛けられて…)

今の自分の置かれている状況を理解しようと、冴えない頭で必死に思い出していると、微かに病室のドアが開いた音がした。

とっさに目をつぶる。

すると、ヒンヤリした手が美優のおでこに乗る。

「まだ熱高いな」

ボソッと小さい声が聞こえる。

美優はうっすら目を開けると、そこには昨日の男の人が白衣を着て立っている。

鼻筋の通った綺麗な顔、スラッとした身長、短髪で黒髪、窓から入った光で、キラキラ輝いてるように見える…

(カッコイイ…)
美優は素直にそう思った。

(この人やっぱりお医者さんだったんだ…)

点滴の滴下を調整しているようで、美優には気付いていない。

「あ…の…」

美優はまだ息苦しさが残る中、言葉を発してみる。

「ごめん、起こしちゃったな。今、朝の6時半過ぎたとこ。大丈夫か?まだ苦しい?」

美優は小さく頷く。

「あの…私…」

「あぁ、昨日は無理やり連れてきて悪かったな。
カフェでコーヒー飲んでたら、具合悪そうにしてる子がいるなと思って、君がバックヤードから出て来てフラフラしながら店を出て行ったから心配になって後を追いかけたんだ。そしたら、急に苦しそうにしゃがんで立ち止まったから、さすがにヤバいと思って声掛けたの」

「…すみません…ゴボッ、ご迷惑…お掛けしました…ゴボッゴボッ」

「気にしなくていい。まだ苦しいと思うから、詳しい話は後で聞くから、今はあまりしゃべるな。ただ、あの状況で放っておいたら本当にヤバかった…
これから色々検査して、しっかり治療しないとだから、しばらく入院してもらうよ」

(え…入院…)

バイトを掛け持ちしながら学費、生活費をやりくりしている美優にとって、入院費なんてとても払える余裕はない…
それに、学校もどうしよう…

「あの…ゴボッ、私…ゴボッ、もう大丈夫です、ハァ、ハァ、家に帰らせてください…」

「それは出来ない。色々検査をしてみないと何とも言えないが、俺が診る限り重度の喘息だと思う」

美優は驚いて、酸素マスクを外そうとする。

「これはまだ外せないよ。今は酸素マスクがないと、また昨日みたいに苦しくなるぞ」

またピシャリと言われてしまった。

昨夜の運ばれた時、体の酸素濃度が低くて一時危なかった事、喘息という病気かもしれない事、高熱が出ていて肺炎を起こしてるかもしれない事、病名確定をするために色々検査をしなくてはいけない事などなど…色々と説明してくれた。

「いい?分からないことがあったら俺でもいいし、看護師でもいいから聞けな?
あと、俺の名前は鳴海航也。
これから主治医になるから、よろしく」

「はい…」

「俺は、呼吸器内科が専門だが、救命センターにも応援で呼ばれることもあるから、バタバタしてるけど、また後で見に来るから。それまで大人しくしてて。何があったらすぐナースコールしていいから」

「学校のことやバイトのことは、また後で考えていこうな」

そう言って病室から出て行ってしまった。

美優はてっきりすぐ退院できると思っていたから…

(考える?考えるってなにを?)

それより…

「はぁ〜なんか色々疲れた…まだダルいし、息も苦しい…もう少し休もう…」

美優はまた眠りに落ちていった。


〜数時間後〜
「…みゆちゃん、みゆちゃん?」

看護師が美優に声を掛ける。

美優は呼ばれた声で目を覚ます。

「大丈夫?苦しいの少しは良くなったみたいね。
ぐっすり寝てたから、鳴海先生がそのまま寝かせておくようにって、朝ごはんスキップしたの。今ね、昼の12時過ぎよ。
お昼ごはん食べれそうかな?」

「あ、はい…すみません。あまり食欲ないけど…いただきます」

「昨日は大変だったね。ゆっくりで良いから少しずつ食べててね、また様子見に来るから」

そう言うと、酸素マスクを鼻の酸素に変えてくれた。

「はぁ〜食欲ないな…」

しばらく目の前の昼食を眺めていたが、早く横になりたくて、箸を持って食べ始める…

食べ始めてしばらくすると、だんだんとむせ上がるような感覚…

美優は我慢できずに、そのまま吐いてしまった。

「オェっ、ハァ、ハァ…ゴボッ、ゴボッ…ハァ、ハァ」

吐き気と同時にまた咳が出始め、息が苦しくなってきた。

ちょうどその時、さっきの看護師さんが部屋に入ってきた。

「みゆちゃん、少し食べられた?あっ、えっ?みゆちゃん?!大丈夫?
気持ち悪くなっちゃったね、遅くなってごめんね」

「くるし…っ、きもち…わるいっ」

「辛いね、すぐに鳴海先生呼ぶからね、ゆっくり深呼吸だよ」

すぐにナースコールを押して、鳴海先生を呼んでる声が聞こえる。

治まらない吐き気と息苦しさに必死に耐えていると、勢いよく病室のドアが開いた。

「どんな様子?」

「あっ、鳴海先生。先程、美優ちゃんの病室に来たら、すでに吐いていて、呼吸も苦しいようで、吐き気もまだ続いてます」

手短に報告をあげる。

「美優ちゃん、ちょっと胸の音聞かせてね」

「ん〜、嘔吐は薬のせいかな…」

鳴海は、ぶつぶつ独り言のように言いながら、美優の背中を擦り、片方の手で点滴をストップさせた。

「発作が始まってるから、とりあえずすぐに酸素マスクに変えて。あと、発作止めと吐き気止めもお願い」

看護師に指示を飛ばす。

ヒューヒューという喘鳴が部屋中にはっきりと聞こえるようになってきた。

「だいぶ苦しいな。大丈夫、すぐ楽になるから、ゆっくり深呼吸だぞ」

美優は、軽くパニック状態で涙目になりながら、必死に肩で呼吸する。

「そう、ゆっくり深呼吸して、大丈夫、焦らなくていい。俺に合わせて、ゆっくり呼吸するよ、スーハー、スーハー、そうその調子」

美優はグッタリし始める…

「俺に寄りかかって、体の力抜いてていいぞ。深呼吸することに集中してて」

美優は、横に立っている鳴海に体を預ける。

鳴海は、美優の呼吸が楽なようにベッドを起こしたままにする。

美優の体が横に倒れないように自分の体で支えながら、もう片方の手で背中を擦ってくれている。

その手の動きに合わせて深呼吸をしていると、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。


「落ち着いて来たな。少しベッド倒すな、少し休みな」

そう言って、鳴海は出て行き、看護師さんが吐いたものを綺麗に片付けてくれる。

「吐いちゃって…ごめんなさい…」

「大丈夫よ。美優ちゃんは何も悪くないから、謝らなくていいのよ。私の方こそ早く来てあげてればよかったね。ごめんね」

看護師の優しい言葉に安堵し、さらに涙が溢れる。

それからしばらくして、諸々の検査に呼ばれて、レントゲン、血液検査、呼吸機能検査…沢山の検査をした。

夕方になり、病室に鳴海が入ってきた。

「検査お疲れさま。大変だったろ、疲れてないか?」

「はい…大丈夫です」

「まだ顔が赤いな、体温測って」

ピピピッ

「38.2か…まだ高いな。吐き気はどうだ?」

「大丈夫です」

「少し話しても大丈夫か?」

「はい…」

「じゃあまず、さっきの吐き気だけど、点滴の副作用の可能性もあるから、一旦点滴を止めて違う薬に変えて様子を見ようと思う。
それと…、検査の結果はやっぱり重度の喘息で間違いない。
それに今は風邪が悪化して、肺炎を起こしてる状態。
これまでに喘息と言われた事は無いんだよな?
今まで、苦しかったり、息が吸いづらく感じたことは無かった?」

美優はこれまでを思い返す…

「…そういえば、風邪引いた時とか、走った時とかにゼイゼイする感じがありました…
あと、季節の変わり目は特に咳が出やすくなって、眠れない時もありました。
でも、自分が喘息だなんて全然思わなくて…」

「そっか。前から前兆はあったんだな、それはいつ頃から?」

「1人暮らしを始めた頃かな…」

それから、美優はこれまでの生い立ち、1人暮らしをしている事、バイトを掛け持ちして生活をしている事、全部鳴海に打ち明けた。

「そっか…色々と辛かったな…教えてくれてありがとうな」

そう言うと美優の頭をポンポンし、話を続ける。

「今までは1人だったかもしれないけど、もうこれからは俺が主治医として、病気を診ていくから安心しろ。
ただ、喘息は、根気強く治療していかなければならない病気なんだ。病状が落ち着くまでは入院は避けられないが、なるべく早く退院出来るように一緒に頑張れるか?
これからは俺が主治医として、病気を治していくから、辛かったら辛い、苦しかったら苦しい、嫌なら嫌と我慢せずに言うんだ、俺には隠し事はなしだ。病気は俺だけの力じゃ治せない、患者自身が治そうという気力が必要なんだ。わかるか?」

「…はい、頑張ります」

鳴海の真剣な眼差しと話を聞いて、この先生ならきっと自分を託して大丈夫だと感じた。
そして、これからしっかりと自分の病気と向き合おうと決意した。

「よし、これから頑張ろうな。今日は色々と疲れただろうから、ゆっくり休んで。
今日俺当直だから、何かあったらナースコール押して」

そう言うと鳴海は出て行った。

それから、美優は寝たり起きたりを繰り返していた。



何時間経ったんだろ…
額にいっぱい汗をかいて、濡れたパジャマ…

「暑い…ハァハァ…」

すると誰かが入ってくる音がした。

「わ、すごい汗だな。わかるか?目しっかり開けてごらん?」

美優は声に従って、ゆっくり目を開ける。

そこには心配そうに美優を覗き込む鳴海がいた。

「なるみ…せんせい」

「よし、わかるな。大丈夫か?ずいぶん汗かいたな、ちょっと胸の音聞くよ」

聴診器で真剣に胸の音を聞いている。

「ん、いいよ。喘鳴は落ち着いてきたな。熱は39.3か…また上がったな。とりあえず、解熱剤の点滴入れるな。それとパジャマ着替えないとだな」

そう言って、鳴海はナースコールで看護師に点滴と着替えを頼んでくれた。