ケリー侯爵家の領地に入ったときから。
 鈴は一人勝手に速足になっている。
 何度もホムラに「勝手に行くのはやめなさい」と怒られても。
 自然と足が早くなってしまった。

 なんの楽しくもない。
 なんのメリットもない旅が終わろうとしている。
 時刻は22時近く。
 これまでの旅の過程で、夜に移動したことはなかった。
 目の前に、見覚えのある建物が見えた時。
 鈴は「万歳」と言って喜んだ。

 やっとゴールしたのだ。

 うしろから遅れてやってきた者たちを、鈴は「遅いぞ」と注意する。
「鈴ちゃん、別に家は逃げたりしないんだからさー。走る必用ないっしょお?」
 と、息を切らして文句を言う白雪姫に鈴は「ふんっ」と鼻をならした。

「やっと、ゴールですわね」
 ホムラが息切れしないでいるのは、日頃から訓練しているからだと理解できるが。
 苦しそうな表情一つ見せず、鈴に向かって言った侍女を見て鈴はむっとした。
 ツバキ団長の家の侍女として働いているという女が何故、この旅について来ているのかは理解が出来ないが、並みならぬ体力に驚かされるばかりだ。
「やっぱ、侯爵家だから、でっかー」
 阿呆な感想だなと鈴はミュゼをじろりと見つめる。
 この旅で、この女と疑似恋愛をしろとドラモンド侯爵に言われたときは、全く持って意味がわからなかった。
 自分の人生において、恋愛なんてものは不要だと割り切っているはずなのに。何故、ドラモンド侯爵は疑似恋愛をしろと言ったのか。
 一度、ホムラにそのことを質問すると。
 いつも仏頂面のホムラが呆れた顔で説教をしてきた。
「あなた、お忘れじゃないですよね? 公衆の前でアスカ侯爵令嬢を投げ飛ばしたことを…あれが、どれだけ野蛮で非常識だという行為だったか…ドラモンド侯爵に注意されたのを忘れたのですか?」
 くどくど説明してくるホムラに腹が立って「もういい!」と怒鳴ったが。
 侯爵令嬢を投げ飛ばすのと、このミュゼという女と疑似恋愛をすることに何の繋がりがあるのか、さっぱりとわからなかった。
 疑似恋愛が鈴にとって、今後役に立つのかもしれない…と理解し始めたのはシナモンの説明を聞いてからだ。
 シナモンは丁寧に鈴に対して恋愛とは何かというのを教えてくれた。
 ホムラやミュゼは面倒臭そうな顔をするけど。
 シナモンは嫌な顔一つせず、説明してくれたのだ。

 この旅が終われば、ゴディファー家のヒナタ伯爵令嬢との結婚が待っている。
 ヒナタ伯爵令嬢と結婚をしたら、ドラモンド侯爵は隠居して田舎で暮らすという。
 鈴にとって。
 近い未来があまりにも、ふにゃふにゃとしていて。
 自分が、侯爵になるということに。
 あまりにも実感が湧かないままだった。
 この旅で自信がついたかといえば、違う…次元が違うと答えるだろう。

「こんな、夜遅くに行って怒られませんか?」
 フードで顔をすっぽりと隠しているホムラが言った。
「心配することはない。私の家だった場所だ」

 鈴の言葉に、ミュゼとジェイが「うわあ」と言い出した。
 本来ならば、近くの町で一泊して明日到着するはずが。
 鈴の我儘で、前倒しをして一日早く到着したのだ。