私の前世を話し終えると、いつの間にかティッシュの箱を抱きしめ、雫さんがずずっずずっと、鼻をすすりながら目に涙を溜めている姿がありました。

「やっ、ちょっと、ずっ……待って! 今止めるから……」

 雫さんがティッシュを4、5枚引き抜き、顔を覆いながら、ぎゅうっと押さえます。

「大丈夫ですか?」
「っはー。大丈夫、大丈夫だから……って、あんたのことでしょーに、うらら!」
「ええ、確かにそうなのですけれども」

 あくまでも前世の話です。決して、私の過去の話という訳ではないのです。

「でも、その第二王子様だっけ? うららは、その王子様のこと、好きだったの?」
「私ではありませんよ、アンネローザです。ええ、お慕いはしておりました。けれども恋情かと聞かれると、はいとは言い難いですね」

 雫さんが、まだ少し鼻をすすりながら聞いてきましたので、私の素直な気持ちを伝えます。
 好意は持っていましたが、とにかく恐れ多いことだとしか思わず、歩み寄ろうとさえしませんでした。

「そうなの?」
「はい。四つも年下でしたし、それ以上に身分が違い過ぎましたので、まず考えることすら放棄していましたから。今となってはもう遠い昔の出来事としか」

 あの日唐突に終わってしまったアンネローザの世界。悲しくないとは言いません。けれどもこうして雫さんに話すことで、随分と気持ちに整理がついたような気がしました。
 私が何故あそこまで庶民に憧れていたのか。何故あれほど恋に消極的だったのか。

「ずっと私は、都合のいい逃げ道を探していただけなのです」

 そう認めることが出来ました。
 だとすれば、前世を振り返るよりも何よりも、今私がしなければならないことがあるのだと気づかされます。

 そうです。今、私が一番したいこと……

「蝶湖さんに、私の想いを伝えたい」

 自然とその思いが、言葉が、溢れ出してきたのです。

「好きなのです、蝶湖さんのことが。私、他の誰かに嫉妬してしまうほど好きなのです」

 そう素直な気持ちで蝶湖様を思う言葉を口にすれば、先ほどまでの鬱々とした気がさっと晴れ渡ってくるような気持ちになってきました。
 あの世界(ラクロフィーネ)で見た運河が、きらきらと輝きを放ちながら、目の前にぱあっと開けます。
 前世では、貴族とはいえ身分違いのお方とのつながりを、あれほど拒絶したというのに、今世は庶民側の方から、立派過ぎるほどのお家の方へ身分違いの恋をするなんて、皮肉としかいいようがありませんね。

 けれども仕方がありません、だって自覚してしまったのですもの。
 思いのたけを正直に吐き出したお陰で、自然と顔がほころんできます。
 そうすると、目の縁を軽く拭った雫さんが、私の髪をくしゃりと掴んで、いつもの口調でこう言われました。

「ばかね、そんな大告白は、本人に向かって直でぶつけてやんなさいよ」
「……それもそうですね」

 そうあらためて言われると、なんだか少し恥ずかしい気持ちになってきました。顔に熱が集まるのを、手のひらで冷やすように覆っていると、ふと思い立ったように雫さんが呟きます。

「けど……なーんか蝶湖さんって言われると、雰囲気出ないわよね。男なんでしょ? 本当の名前、知ってる?」
「いえ。私の中では性別はどうあれ、蝶湖さんは蝶湖さんなので、特に変とは思いませんが」

 いや、おかしいって。そういったまま、考えこむような仕草をした後、ぽんっと膝を叩きます。

「じゃあ、今からあそこ行ってみない?何かわかるかもしれないし」
「え、どこへですか?」

 私の質問はあっさりと無視され、雫さんの鶴の一声で、あれよあれよという間に車に乗せられ連れ出されました。

「じゃーん、アロウズ本店でーす!」

 上弦さんのお店ですね。何故いきなりここなのでしょう。
 私の問いかけに、んー、と喉から音を出し、雫さんは視線を泳がせます。

「いやだって、月詠さんの関係者で、とりあえず学園の関係者でない知り合いっていったら、熊さんしか知らないし」

 いえ、もう熊さんではないはずです。ヒゲはとっくにありませんよ。
 しかし、有名店のブランドデザイナーですよね、突然訪問して会っていただけるのでしょうか?そう口にしようとしたその時、後方から声がかかりました。

「お、元気だった? 相変わらずだね、雫ちゃん。と、うららちゃん」
「お久しぶりです。天道さん、有朋さん」

 その少しおちゃらけた言葉と堅苦しい挨拶に振り向くと、想像通りの二人組が立っていました。普段と変わらないその態度に、なんだか乗馬をしていた時まで時間が巻き戻ったかのように錯覚してしまいます。
 ほっと一息つき、こちらも敢えて何も変わらない態度で返事をしました。

「はい、本当にご無沙汰しています。三日月さん、十六夜さん」
「よかったー、三バカじゃなくて。お久しぶりね、ういうい、不知くん」

 雫さん、あなたって方は……また言われますか、それを。

 突っ込みどころ満載の雫さんの挨拶に、ぐふっと笑いを堪えきれない三日月さんです。
 ああ、やはりダンス対決のことも知っているのですね。痴態を晒した身としては、本当に恥ずかしく、穴があったら入らせてくださいと願うばかりでした。