「本当に、蝶湖さんがそうおっしゃられたのですか? 天道に、会いにいく、と」

 上弦さんの言葉に驚き、食いつき気味に声を上げると、慌てて一歩後ろに下がられます。

「いや、朧に伝えたんだよ。ドレスの手直しが出来たから、二人を連れておいでって。そうしたら、今日は用事があるっていうから、早くしろよとしつこく言ったら」
「蝶湖さんが天道に会うからと言われたのですね……」
「そうそう。明日にしてくれって言われたんだけど、聞いてない?」

 全く聞かされていないのですが。いえ、明日お店に行くという話は別に構わないのです。ただ、その理由というのが納得いきません。

「蝶湖様と会う約束……」

 胸のざわめきがどんどんと大きくなっていきます。上弦さんの聞き間違いという可能性もあります。けれども、ドレスの件と重ねて考えると、私しか考えられないのです。

 そこまで考え、ふと思いつきました。
 いいえ、蝶湖様とは一度だけですが、私以外の天道の名の者と顔を合わせたことがありました。

「……はると君!」
「え、はる兄?」

 私がはると君の名を口にすると、きららちゃんが「どこ?」と周りを見回します。

「きららちゃん、違うの。ねえ、はると君は、剣道の防具を持って出かけたのよね?」
「うん。いつものヤツ、全部持って自転車で行ったみたい」

 自転車で出かけたというのなら、彼の行動範囲からいって決して狭いものではないのですが、剣道の防具を持って行ったとなれば、おおよそ見当もつきます。

 中学の体育館か、もしくは通っている剣道場――――

 そういえば先日のダンススタジオでの会話によると、新明さんと三日月さんは、はると君と同時期に剣道場へ通っていたことになります。蝶湖様と新明さんと三日月さん。さして広くもない私の交友関係とはると君の交友関係が、そんなに簡単に被るものなのでしょうか?
 いっそう強さを増す胸騒ぎに、居ても立ってもいられなくなり、きららちゃんに声をかけました。

「ごめんなさいね、きららちゃん。お姉ちゃん、用事を思い出したの。少し早いけど、そろそろ帰りましょう」
「えー、せっかく遊びに来たのに、もう帰るの? まだ行ってないとこいっぱいあるのに」

 申し訳ないとは思うものの、このまま放って置くわけにはいきません。とにかく、急ぎ確認しないと。
 ぐずるきららちゃんを、なんとかなだめようとすると、横から助け舟が出てきました。

「用事はうららちゃんだけ? じゃあ、僕らが妹さんの面倒見ていてあげるよ」
「え?」

 いつの間にか上弦さんの隣には、先日試着の際にお世話になったお姉様方がいらっしゃっていました。

「何だか僕が余計なこと言ったせいみたいだし、遠慮しなくていいよ。帰りは送らせるから大丈夫」

 お姉様方がその言葉に続き、一緒にファッションショーしましょう。と、きららちゃんへ魅惑の囁きを語りかけます。
 お母様が若い頃に撮られたコスプレとかいう写真を見ているせいで、きららちゃんは煌びやかな洋服にとても弱いのです。先ほどよりも強い懇願の目で訴えられ、これは断ることは難しそうだと思いました。
 チラリと上弦さんを見ると、任せてとOKサインを出されたので、お言葉に甘えることにします。もとより上弦さんの人格も素性も何一つ問題はありません。

「では、申し訳ありませんがお願いしてもよろしいでしょうか?」
「こちらこそ、変なこと言ってゴメンね。さ、早く行っておいで」
「はい」

 きららちゃんへ、迷惑をかけないようにと一言告げてから、急ぎ剣道場へと向かい走り出します。
 出来れば、この考えが杞憂でありますようにと思いながら、早く、早くと。


 少しうろ覚えだった剣道場へ、ようやくたどり着きました。
 以前こちらへお邪魔したときは、子ども達が元気に稽古する声で随分と賑やかでしたが、今日はうるさいくらいの蝉の声だけが響いています。
 取り越し苦労でしたかと、ほっとしたのも束の間、道場の道向こうに見知った黒く大きな車を見つけました。

 あれは確か、薔薇園へと誘われた時に乗せていただいた、蝶湖様のお宅の車ではなかったでしょうか?じっと運転席を見つめていると、こちらに気がつかれた運転手の方が、慌ててエンジンをかけ始めたのです。
 やはり。蝶湖様はここにいらっしゃいます。そして、おそらくは、はると君も一緒に。

 駆け足で剣道場の敷地へと入り込み、開いていた窓の格子にしがみついて中を確認します。すると、道場の真ん中で剣道の防具を身につけ、すでに竹刀を構え相対している二人の姿が目に入りました。
 その内の一人がはると君なのは直ぐにわかります。見慣れた防具と、垂に天道の刺繍がちらりと目につきました。
 そしてもうお一人。
 藍染の道着を着た、はると君と対照的な、真っ白な道着を身に着けられた方が、反対側にそんきょの型で剣先を合わせています。
 面で隠れていてお顔は確認できませんが、あのすらりとした姿は――――

「蝶湖さん!」

 思わず声を上げましたが、丁度そのタイミングで三日月さんの、「始め!」の声がかかりました。
 すっと立ち上がりじりじりと間合いを探りながらの睨み合いが続きます。

 そんな二人を見つめながら、何故? どうして? と疑問ばかりが私の頭の中を駆け巡っていたのです。