「うらら……あんた凄いわ……」
「うん。凄く上手い。見事なもんだよ」

 ステップの練習だけのはずでしたが、パートナーである新明さんのリードにされるがまま、ノリノリで踊ってしまいました。

「新明さんのリードがお上手なので」

 社交ダンスは男性側のリード次第で随分と出来不出来が変わってしまいますから、私が上手に見えたということは、新明さんのダンスが素晴らしいということでしょう。実際、とても気持ち良くリードして下さいました。流石はお色気担当ですね。

「いや、君の方こそ。踊っていてこんなに楽っ、……スムーズなのは初めてだ」
「いえいえ、リードのお力です」
「……やはり、君は……」
「あーっ、いいから、いいから! そんな謙遜しあわなくっても!」

 謙遜ではありませんよ。と、言おうとしましたが慌てて下弦さんが新明さんを連れて行かれましたので、この話はここまでということで終わりにしておきます。
 詮索、とか、言いつける、など不穏な言葉が漏れ聞こえますし、その方がよろしいでしょう。
 そうこうしているうちに、ダンスの先生がいらっしゃいましたので、有朋さんと一緒に教えていただきます。

「やはりプロの方は見せ方が違いますね」

 うっとりと、先ほどのデモンストレーションを思い出します。パートナーの方もご一緒で、お手本にとダンスを踊って下さいました。

「それに、私の欠点も指摘していただきましたので、気をつけて練習していきたいです」
「欠点? あんな踊れても?」

 それはそうですよ。いくら前世で貴族の必須とはいえ、プロではないのですから。
 特に新明さんは私より身長が20センチ以上高いので、ヒールを履いてもそれなりの身長差になってしまいます。無理に背を伸ばして踊っていたのが丸わかりだったようで、そこを注意されました。

 なにぶん、前世でよく踊っていただいていたのは、私よりも背の小さなお方でしたから。
 ふいに懐かしさが胸に込み上げ、思い出されます。私のことをアンネローザと呼びつけ、自分以外と踊るなと、無茶をおっしゃるあのお方を……
 そういえば、あの後……私は、一体……

「ね、うらら。知ってる?」

 はっ!?

 有朋さんの不審気な声で我にかえりました。
 普段そんなことはほとんどないのですが、前世を思い出す上で、どうにも一部分だけ意識が浮いてしまうような感覚になることがあるのです。

「すみません。聞いていませんでした」

 正直に謝れば、口を尖らせつつも、もう一度言い直してくれました。

「だから、あれ。誰だか知ってる?」

 有朋さんが親指をクイッと向けて入口ドアの方を指します。硝子部分から透けて見えたのは、見覚えのあるジャージ姿でした。

「はると君!」

 へ? と、間の抜けた声をだした有朋さんの横を抜け、ドアを勢いよく開けると、やはりそこに立っていたのは、弟のはると君です。

「姉ちゃん」
「どうして、ここに?」

 ダンスを踊るという話をした覚えはありますが、場所までは言っていません。
 隠すことではないのですが、私以外の皆さんも練習する場所ですから勝手に来られるのは困りものです。
 少しばかり非難の色を込めて尋ねましたが、はると君は意に介せずといった様子で、きょろきょろと周りを見回しました。

「はると君?!」

 先ほどよりも大きめの声で呼びかけると、ようやく私の顔を見て、あいつは? と聞き返してきたのです。

「あいつって? 一体誰を探しているの?ここには私のお友達以外は居ないわよ」

 新明さんをお友達と言ってもいいのかはわかりませんが、お友達である下弦さんのお友達ですし、この際はいいことにしましょう。友達の友達は皆友達だと、昔の方もおっしゃっています。
 チラリと新明さんの方を確認しますと、こちらを見て何やら眉根をひそめていました。

「はると君、とにかく少し出ましょう。皆さんの邪魔になってはいけませんよ」

 部外者がいたら練習が進みませんものねと、はると君の袖を引きましたが、一向に動く気配がありません。
 何をしているのかと再度袖を引っ張り、彼の顔をのぞくと、目を大きく開けてとある一方を凝視しています。

「朔太朗くん……?」
「え、新明さんを知っているの?はると君」

 確かに今、はると君は新明さんの名前を呼んだのです。振り返り新明さんの方を見てみれば、寄せた眉の皺を深くしたまま、小さく溜め息をつかれました。
 はると君は誰の許しも得ないまま、ダンスフロアの中へ入っていき、新明さんの前へ立ったかと思うと睨みつけるように顔を見合わせました。
 彼の隣には下弦さんもいらっしゃるのですが、こちらも若干渋い顔をされているので、私よりは状況がわかっているのでしょう。

 それでも、はると君は私の弟ですし、何もわかってないからといって、皆さんに迷惑をかけるわけにはいきません。急いで横につき、とりあえず帰りましょうと話しかけましたが、こちらを全く見向きもせず、相変わらず新明さんと対峙しています。
 ここまで私の話しかけを無視されたのは初めてです。
 はると君のこの行動に呆気にとられていると、新明さんがゆっくりと声をかけてきました。

「久しぶりだな。少しは強くなったか?」
「朔太朗くんよりはね」
「ふうん。初よりは?」
「多分、勝てる」
「強気だな」

 剣道……のことなのでしょうか?

 はると君は小学生の時から剣道場へ通っていましたから、そこで知り合ったのならば、この会話もわからないのでもないのですが……

「そんなことより、あいつは?」
「……あいつ? 誰のことだ?」

 なんとなく、昔を懐かしんでいる様子ではありません。

「言っていいの? 名前……ここで?」

 一体、誰のことでしょうか?

「あーあー、君たち。懐かしの再会みたいだけど、そろそろ御開きの時間なんだ」

 あまり申し訳なさを感じない下弦さんの言葉ですが、確かに午後三時を回ったところですから、今日のところはここで終わった方がよさそうです。
 けれども新明さんとはると君は、いまだ見合ったまま、お互い一向に引こうとはしません。先ほどの誰だかわからない方のことはひとまず忘れて、とにかく二人を引き離さないことにはどうにもならないでしょう。
 では、少し強引にでもはると君を連れて帰りましょうと手をだしたところ、逆の方の腕をグイッと誰かに引かれました。

「じゃ、私とうららは帰るわ。後は御勝手にどうぞー」
「え? あ、有朋さん」

 あ、戸締まりはよろしく!と、有朋さんは男性陣に向かい一言付け足し、ロッカールームへ私を引きずり込みます。

「あ、あのっ、有朋さん。私、はると君と話が……」
「まあまあ、いいから。こっちもちょーっと聞きたいこともあるし、今からお茶飲むわよ」

 がっちりと腕を取られてからのこの言葉に、何やら力が込められていました。

 うーん、これは断れません。