なんとなく静かになってしまった空気に、若干呆れ顔の有朋さんが皆さんに向かって言い渡します。

「とにかく、次の対決は馬術競技に決めたから。そこんとこよろしくね、って……月詠さん、聞いてる?」

 あまりの反応の無さに、大丈夫?と話しかければ、薄い笑顔を貼り付けた蝶湖様が、「ええ」と、これまた感情のないような声で答えます。

「うん。多分聞こえてないから、後で僕たちから話しておくよ」
「だな。じゃ、明日から頑張ろうぜ。朝、そうだなー、ここに5時半集合な!」

 はい、わかりました。よろしくお願いします。とお願いする私の横で、えっ?早っ!と有朋さんが顔面蒼白になっていました。
 頑張りましょうね、有朋さん。


 小鳥たちが可愛らしくさえずる早朝、馬に乗って散歩出来るだなんて思いませんでした。素晴らしく気持ちのいい朝ですね。
 昨日約束した時間よりも少し早めに馬場へ着くと、すでにジャージに着替えた三日月さんが馬たちの世話をしていました。
 慌てて、お手伝いをと言えば、笑って遮ります。

「うちの学園は生徒がみんなアレだろ? だから基本は厩舎の従業員のみんなが世話してんだけどさ、俺は好きでやってるから、いーの、いーの」

 ぽんぽんと、ガリレオの首を軽く撫でるように叩くと、彼もそれは気持ちよさそうにしています。

「人には馴れ辛いと言われていましたけれど、とても仲良しなのですね、三日月さんとガリレオ」
「んー、面倒見てりゃ、それなりにね」

 そうですよね、人だって馬だって触れ合いの多い方が早く慣れますもんね。

「でしたら、やっぱりお手伝いさせてくださいね。着替えてきますので、色々教えてください」

 へえ。そう感嘆の声の後、じゃあそこの女子部員用の部室使ってと、厩舎の反対側に建つ小屋を指さされました。
 そうして三日月さんと一緒に厩舎でお手伝いをしているうちに、眠そうな顔をした有朋さんも来られたので、三人で早速馬に乗ってみたのです。

「……っうらら、なんでそんなに当たり前に乗れるのよっ」
「えーと……ほらっ、有朋さん、怖々としちゃダメですよ」

 腰が引けています。いつもと立場が真逆ですね。
 部室に常備してあるヘルメットと乗馬靴に手袋をお借りして馬に乗れば、本当に久しぶりでしたがあっという間にその感覚を思い出しました。

「うららちゃんの言う通り。雫ちゃん、もっと背筋伸ばして」

 初心者と言うことで、私と有朋さんの馬の隣には従業員の方々についていただいています。三日月さんは茶色の毛並みが美しい馬に乗り、馬上から私たちのチェックをしながら声をかけていきます。
 私はガリレオを、有朋さんは三日月さんと同じような茶色の毛色に肢の先が白い、ロゼリラという馬を選びました。

「あの、少し早足させてもよろしいですか?」

 横についてくださっている方にそうお願いすれば、三日月さんとアイコンタクト後に了承していただきました。

「ガリレオ、少し走りましょう」

 私の言葉をしっかりと理解してくれているように、ガリレオの脚が軽く馬場の砂飛ばすようにかけ始めました。
 ああ、気持ちいい。体が馬の走るのにあわせて揺れ、風が髪をなびかせるこの空気がとても懐かしい気がします。
 あの日も、こんなふうに、カレリオンと一緒に木漏れ日の中、並んで、走りました。

 そう思い出すと、何か一言では言い切れない感情が、ぶわっと心の中に飛び込んできます。
 痛み。苦しみ。喜び。幸せ。そして、悲しみ。
 この世界へきてから、今まで一度も感じたことのない、感傷にはじめてとらわれました。
 貴族を捨てて庶民になりたいと願い、こちらの世界へ生まれ変わり、ただその幸運を受け入れて自由にと過ごしていましたが、それでもやはり昔の私も、私の中にいるのだと――

 不思議です。
 あれだけ嫌っていた貴族の生活も、今思えば悪いことばかりではなかったと気が付きました。
 お父様も、お母様も、カレリオンとも、それまでお付き合いのあった他の方々にしろ、その地位になければ知り合うこともなかったのだと思います。辛いことも、思い通りにいかないことも、たくさん、たくさんあったのかもしれません。
 けれども、幸せだったのでしょう。
 前世での私は、思っていたよりも早くその生を全うしてしまいましたが、きっと幸せでした。

 私が急に意識を飛ばしてしまったことに気がついたのか、ガリレオが徐々にスピードを落としていきます。こちらを伺うような瞳を向けられ、申し訳なく思いました。

「ごめんなさい、ガリレオ。さ、走りましょう」

 そう伝えれば、ぶるん、と鼻をならし、ガリレオはスピードをあげました。
 三日月さんの、ヒューっと高く吹き上げた口笛の音が耳に届きます。有朋さんが、何か大きな声を出しているようですが、ダメですよ、馬の耳元でそんなに声をだしては。

 ふふふ。ああ、本当に気持ちいいわ。
 その風を感じながら、今の私は、前の世界よりも、もっと、もっと、幸せだと感じていました。


「っ……、いた、た……」
「しまらないなあ、うららちゃん。ねえ?」

 笑いをこらえる様子も見せずに、三日月さんがこちらにニヤニヤ顔を向けます。

「う……返す言葉がありません……痛っ」
「あー、て、痛……お尻、太もも……痛い……」

 有朋さんと二人、下半身をさすりながら、痛みに悶えます。乗馬の感覚は久しぶり程度でしたが、当然ながら私の体の方は全く経験値がありません。

「颯爽と走り出した時は、おおーっ!って思ったんだけど」

 お誉めいただきありがとうございます。

「でも体力が全くついてってないよな」

 おっしゃるとおりです。

「そんじゃまあ、走って体力つくるとこから始めるか、今日から」
「うぇええーっ!?」

 有朋さんの叫び声が響きます。全力で同意しますが、こればかりは仕方がありません。

 仕方ありません……