馬です、馬ですっ!

 前世では、馬に大変よく似た、トゥーリという動物がいました。
 こちらの世界で言うと重種と区別される大きな馬が一般的なサイズになる上、気性も荒かったので、扱いには気を使いましたが、私はこのトゥーリがとても大好きだったのです。
 大変頭のいい動物でしたので、仲良くなればあんなに速く、思い通りに、そしてどこまでも行ける動物は他にはありません。
 前世伯爵家でも三頭ほど所有しており、私はその内の一頭、カレリオンと名付けられた雄のトゥーリに乗り、よく遠出したものです。カレリオンは真っ黒な毛並みがそれは美しく、立ち姿から走る姿、どれをとっても素晴らしいものでしたが、どうにも私以外には懐かず、ほとんど私専用といってもいい馬でした。

 ああっ、もう外見はそのまま馬と言っても差し支えないほど似ていますので、もう馬と言ってしまうことにしますね。

「なんか、すっげえ興奮してない?そんなに馬好きだった?」
「はいっ、大好きです」

 力いっぱい答えてしまいました。

「あの、近くに寄っても?」

 目を爛々と輝かせて馬を見る私に、三日月さんは「もちろん!」と、にこやかに笑いかけます。
 まさか学園内に馬がいるとは思いませんでした。厩舎へ向かいながらそう言えば、これは馬術部で飼育、調教されている馬であり、それなりの成績を残しているのだと教えていただきました。
 中等部から入部でき、少し離れたところにある大学の馬術部員までがこちらに来て練習出来るとのことで、ざっと見ただけでも十五頭以上の馬が飼育されているようです。

「そういえば、パンフレットに写真が載ってたような気がするわね」

 有朋さんが、人参を受け取りながら記憶を辿っています。

「おっ、それ俺、俺の写真! あ、人参あげてみてよ。可愛いぜ」

 なるほど、三日月さんは乗馬でも素晴らしい成績を収めているようでした。
 勧められた人参を手に取り、厩舎に近づくと馬たちが興味深そうにこちらを向き始めます。見慣れない人間が来たと、警戒しているのでしょうか。
 驚かせないようにと、徐々に目を合わせながら歩いて行くと、それは黒々とした毛並みの馬がいるのに気が付きました。
 その馬の前に立ち、じっと目を見つめれば、黒い瞳をぱしぱしと瞬かせ、私を見返しました。そうした動作に好感を持ち、ゆっくりと声をかけます。

「はじめまして、こんにちは。天道うららと申します。あなたとても綺麗なのね。人参、食べてもらえると嬉しいわ」

 そっと手に持った人参を差し出すと、その黒い馬は随分と鷹揚な態度で、もっきゅもっきゅと食べてくれました。馬の食べ物を食べる姿は本当に可愛らしく、見ていても全く飽きません。
 咀嚼し終わるのを待ち、もう一度声をかけます。

「触らせてもらってもいいかしら?」

 出来るだけ優しい声でお願いすれば、私の方を一瞥し、少しだけ首を下げてくれました。それを了承のサインと受け取り、そっと首を撫で近づきます。
 しっとりとしたその毛は、とても艶やかで気持ちのいいものです。久しぶりのその触り心地に、思わずにやけてしまうほどでした。

「おおー、すげぇな。ガリレオが瞬殺かよ」
「ちょっとびっくりしたね。まさかガリレオが気に入るとは……」

 私が黒い馬と親密度をあげているのを見て、三日月さんと下弦さんが、驚いているような声をあげました。

「この馬はガリレオと言うのですか?」
「ああ、そうだよ。元は競走馬で、引退してうちに来たんだけど、ちょっと気難し屋さんでさ」

 簡単に人に触らせてくれないんだけどな。そう言われました。
 ガリレオ、ですね。大きさは違えどこの美しい黒い毛並みといい、頭の良さそうな顔立ちといい、さらにはかつての愛馬カレリオンと名前も似ている彼に、私はもう夢中です。
 よしよし、と首や背を撫で回すと、ガリレオの方も気持ち良さそうにしてくれるので、一層愛おしさが増してきます。
 そうして仲良くしていると、少し苛立ち始めたのか、有朋さんが口をすぼめて三日月さんに食ってかかりました。

「ちょっとー、馬はわかったわよ。で、乗馬? なんで、乗馬? 本当に勝算あるの?」

 その言葉に、三日月さんがニヤリと笑います。

「勝算は、雫ちゃんとうららちゃん次第。んー、でもこんだけガリレオに好かれてたら意外といいとこいくかも」
「そんなこと言ってるけど、乗馬なら月詠さんだって当然出来るんじゃないの?」
「ま、普通に乗れるよ」

 普通にはね。と、なんだか意味深なものの言い方です。

「じゃあ、ダメじゃん。私も一応乗馬はしたことあるけど、そんな競技の練習なんかしたことないし」

 ちらりと、私の方を確認し、言葉を選びながら続けました。

「いくら馬に気に入られたからって、うららは馬には乗ったことないんじゃないの?」

 それは確かに懸念されて当然です。水泳も出来ない一般庶民の私が、馬に乗れるとは思いませんよね、わかります。

「まあまあ、でもうららちゃん、馬の扱いは相当慣れたもんだよ。ちょーっと不思議なくらいに」

 三日月さんのその言葉に胸がギクッと音を立てました。前世で、少しばかり……でなく、ガッツリと嗜んでましただなんて言えません。

「ただそれだけでもいいじゃん。バッチリ練習しよーぜ! なんたって、さー、蝶湖って、動物にホントめっちゃくちゃ嫌われてんだよなあ」

 ええっ、そんなに、ですか? あの、蝶湖様が?

「すっげえの、普通の動物ってまず蝶湖に近寄らないから。つーか、大抵は逃げ出す」
「……はあ」

 普通じゃない動物とは一体なのでしょうか?

「ほら、萎縮しちゃうっていうのかな。よっぽどしっかりと訓練された動物でないと……まあ逃げるか」

 下弦さんも同意されましたが、どれだけなのですか、蝶湖様。

「でも訓練された動物っていうなら、競技用の馬って大抵そうじゃないの?」

 有朋さんが当然の質問をされます。どんな競技で対決をするつもりなのか、まだ聞いてはいませんが、馬と一緒にする競技というものはきっちりとした訓練、調教が必須なのですから、それならばあまり蝶湖様にとっても不利にはならないと思います。

「ただそんな訳で、動物絡みなら蝶湖の圧倒的有利じゃなくなるしなー。ぶっちゃけていい? 俺が思いつく勝負で、万が一にも勝てるかもしれないっての、これしか思いつかねえや」

 相当はっきりと言い切られてしまいました。
 実際そうなのですから仕方がないのですよね。知れば知るほど蝶湖様の凄さがわかってきましたから。全く経験したことがないはずの料理ですら、あっという間に形にしてしまいました。
 だとしたらやはり、馬というイレギュラーな相棒と一緒に出来る対決というのは悪くない提案なのだと思います。

 ……ん? イレギュラーな相棒……何か、デジャヴが……まあいいです。

 そんなことよりもと、有朋さんと顔を見合わせました。二人、頷き、アイコンタクトを取ります。
 これはもう、やるしかないでしょう。
 三日月さんのアドバイスに従うことにします。そう答えようとしたその時、小道の向こう側に、急いで抜けてきたらしい蝶湖様と目が合いました。

「初、わざわざ馬場に呼び出すから、まさかと思ったけど本気なの?」

 足早に近づき肩を怒らせた蝶湖様が、三日月さんを凝視します。

「本気じゃなきゃ、馬場にまで呼ばねえだろ」

 わざと煽っているのか、妙におちゃらけた態度で蝶湖様に向かいあう三日月さんです。

「初心者にいきなり馬術競技をやれだなんて無謀よ」
「そうでもないぜ、結構乗れそうな気がするもん」

 俺の勘を信じろよ。笑う三日月さんに苛立っているのがありありとわかります。

「バカをおっしゃい。あなたの勘なんて聞いてないわ」

 蝶湖様は、私の方をちらりと一目し、小さなため息をつきました。

「馬に乗ったこともない、うららには無理よ。怪我をしたらどうするつもり」

 無理よ、と蝶湖様がおっしゃいました。私の言葉も聞かずに、ただ、無理だと。
 確かにこの世界で私は、乗馬をしたことはありません。ですから何故蝶湖様がそう断定したかはさておいて、心配されるのは当然なのでしょう。
 けれども、私の話を一切聞こうともせずに一方的に否定の言葉を告げられて、黙っていられるほど私は蝶湖様に盲目的ではないのです。
 先日の割り切れない思いから、対等になりたいと気づかされたばかりだというのに、また過保護に甘やかされるだけなのは、まっぴらごめんです。

 有朋さんだって教えてくださいました、そう言うときは――
 面と向かって、一発かませばいいんですよね。

 ずいっと、蝶湖様の前に立ち向かいます。そうすれば、蝶湖様がどこかホッとしたような表情を私に向けてこられました。
 うらら、そう呼びながら私の髪を触ろうと差し出された手を押しのけます。

「私、やります」
「えっ……?」
「次の対決は、乗馬でお願いしますと言っているのです」

 私の言葉になのか、それとも手を押しのけられたことになのか、ショックを受けたような顔の蝶湖様に畳みかけます。

「蝶湖さんが心配してくださるのは嬉しいですけれど、私たちは三日月さんのアドバイスを受けることに決めたのです」
「あ、うらら、でもね、いきなりは危ないじゃない。ほら、乗馬がしてみたいなら、後でゆっくり教えてもいいし、ね」

 馬は危険だから――

「勝手に決めつけないでください」

 思わず、そう答えてしまいました。
 馬はとても賢くて優しい動物です。こちらが心を開いてきちんと相手をすれば決して危険な動物ではないのです。
 心配されることは嫌ではありません、けれども大好きなものを傷つけられるのは、すごく、すごく、嫌いです。そして、そんなことを言う、蝶湖様も、

「嫌いです。そんな蝶湖さん、嫌いっ!」

 唖然とする蝶湖様をきっと睨みつけて言い放ちます。例え勢い余って出てしまった言葉とはいえ、腹を立てたのは事実ですから、そのまま横を向いてわざと蝶湖様から顔を背けました。
 そうして三日月さんと下弦さんの方を見てみれば、蝶湖様以上に大きく目を見開いて驚いています。

「えっと……蝶湖、ごめん」
「あー、なんか悪ぃ。蝶湖」

 何故かお二人とも、蝶湖様に向かってそう謝罪していました。