父に連れられてきたサロンで初めて彼らに会った日のこと、隅っこで一人静かに座る少女を見て、こんなに綺麗な女の子がいるのだと、大変感動したのを覚えています。大きな瞳に白い肌、つやつやとした黒髪がとても美しい人形みたいだと思ったのです。
 年の近い彼ら一人ひとりに挨拶をして周り、最後にその少女の前に立った時、とても綺麗ですねと伝えると、

「うるせえ。気持ち悪い」

 そう口汚く返されて、酷く驚きました。
 未だにあの日の出来事は、満や初にやたら揶揄われるので若干辟易気味です。
 しかし別に、綺麗なものは綺麗だと思ったのだから、言葉に出してしまっても仕方がないではないかと思っています。
 随分前に、朔太朗くんにそう話したことがありましたが、彼は苦笑いを顔にのせ、あいつらはお子様なんだから放っておけと、あっさり言ってのけました。

「それに、蝶湖が綺麗なのは事実だから。間違ってないだろ?」

 僕の肩に手を置き、な、と同意してくれました。その時、たった一つ年が上というだけですが、やっぱり朔太朗くんは一番頼りになると思ったのです。


「朧の好きな食べ物ですか?」
「そう。わかる?」

 アドバイスが欲しいからと、彼女が借りている料理スタジオへ呼び出され、そんな言葉を伝えられました。出来れば月詠さんも知らないのがいいんだけどなー、と平気で無茶ぶりをする有朋さんの言葉に頭を捻ります。
 あんな人当たりの良さそうな顔をして、朧は結構したたかで隙を見せません。
 満や初のように、あれが好きだの嫌いだの、大きな声で自己主張することはほとんどないので、何か聞いたことがあるといえば……あれくらいですかと、一つ思い出したことを口に出します。

「好きなものはわかりませんが、あまり甘いものは好みませんよ」

 小さい頃から出された甘いお菓子にも、自分からは一切手を出していませんでした。そういえばそんな朧をからかうために、初が面白がってケーキやクッキーを彼の口に無理矢理突っ込んでいましたね。
 他には好き嫌いはなかったはずだと言えば、彼女は眉間に皺をのせて、使えなーいと言い放ちます。

「それくらいはね、調べてあるの。子役時代のインタビュー記事とかさあ。んー、もうっホント不知くんって……まあいいわ。じゃあ偵察行って!さっ」

 残念なものを見るような目で追い立てられました。そうは言っても、同じ室内、有朋さんとは反対側のキッチンで料理をしている蝶湖と天道さんのところですので、大してかかる訳ではありません。
 偵察とは一体何をすればいいのかと、考えながら近寄ると、天道さんが品のいい笑顔で労いの言葉をかけてくれます。

「お疲れ様です、十六夜さん。有朋さんは迷惑をかけてはいませんか?」
「ああ、大丈夫ですよ。いつも通り、だと思います」

 いつも通りの迷惑を掛けられていますが。とは、彼女に向かって正直に言うのは大変はばかれます。

「何か用? 不知」

 天道さんとの二人の時間を邪魔されたとでも言いたげに、いささか冷たい空気をかもしだして蝶湖が尋ねてきました。

「いや、どんな様子かと思って」
「見ての通りです。蝶湖さん、とても上達していますよ」

 どうぞ見てください、と言わんばかりに、今日の成果を誇らしげに並べてくれました。確かに、包丁も碌に使えなかったとは思えないほどの上達ぶりです。随分と見られるようになってきたものだと感心しました。
 本当は味も見ていただければいいのですがと、薄っすら頬を上気させて語る彼女の表情が、とても綺麗に見えて、ドキリと胸が鳴ったような気がしました。

「……あ、ええ」

 なんとなく居心地が悪いような、それでいて何か高揚してくるような感情がどうにも制御できなくて上手く言葉が見つかりません。

「ダメよ、うらら。不知は有朋さんのアドバイザーなのだから、無理を言っては」

 蝶湖の、天道さんにかける口調はやわらかなのに、こちらに向けた酷く冷ややかな視線に、はっとさせられました。

「そ、そうですね。蝶湖へのアドバイスは約束に反しますから」

 そう言って、気持ちを落ち着かせるため、一度スタジオから外へ出ることにしました。

 綺麗だと思ったものを綺麗だと、言い淀んだのは初めてです。
 この感情が何なのか、自問自答しているところで、携帯の着信音が鳴りました。画面に三日月の名を確認したので通話にすると、開口一番、「どうよー?」とのんきな声が響きます。

「初ですか。どうもこうも、蝶湖はなんとか無難に習得していますよ」
「っはっは。流石にそつがないな。こっちはねー、朔ちん、めっちゃ不愛想な顔して生徒会の仕事してるわー」

 先日の出来事のせいで、蝶湖の信用を全く無くしてしまった朔太朗くんは、当分の間接触を禁止されました。その上、何かしでかさないようにと、僕たちによって監視までつけられているのです。今日は初の担当ですが、何かとじっとしていられない彼は、頼んでもないのに頻繁に電話をかけてきます。

「不愛想? 昨日はそんなふうには見えなかったけれど、どうかしました?」
「えー。あれからずっと不愛想じゃん。ちょー不機嫌。ま、その前からずっとカリカリしてたけどな。わかんなかった?」

 あっさりとそう言う初に、少し驚きました。野生の勘とでもいうのでしょうか。

「まあ朔とお前はね、堅っ苦しいからわかりやすいんだよ。もっとさ、気を抜かないと、好きな子にも好きっていえないぜー」

 ぐっ。喉が詰まり変な音が思わず出てしまいました。

「え、マジ? 気づいちゃった? あ、でも止めとけ。絶対に言うなよ」
「何が、言うなよ、ですよっ!? 好きな人なんていませんっ! というか、どうしてそんな話になるんですか?」

 朔太朗くんの話をしていたはずなのに、とんでもない所へ話が飛び火します。それでも全く意に介さない初はあっけらかんと言葉を続けました。

「なんだ、自覚してないのか。じゃ、いいや。でもヘタこくなよ。そしたらお前、朝比奈の二の舞かもよ?」

 ケタケタと笑いながら、じゃーなと言って、初は勝手に通話を切ってしまいました。 
 なんだか意外な方へ進む成り行きに頭も感情も追い付いていきません。
 何がなんだかわからないなりに、初のバカらしくも柔軟な考え方が羨ましいとさえ思ってしまいました。