「大丈夫? うらら」

 失神から覚めたら目の前には心配そうな顔をした黒髪の天使が私の手を握っていらっしゃいました。あ、蝶湖様ですね。びっくりしました。

「はい。あの、ここは一体……」

 きょろきょろと周りを見回すと、白いカーテンに囲まれたベッドの上でした。保健室のようですが、誰かに運んでもらったのでしょうか?

「ええ。保健室。みんなで教室によったら、丁度うららが倒れたところだったから、初に運んでもらったの」

 むむ。それはまさかお姫様抱っこというものでしょうか? だとしたらかなり恥ずかしい気がします。絶対に目立ちますよね、人気者の三日月さんのお姫様抱っこ……ん? なんだか先ほどの会話の記憶が思い出されます。
 ……有朋さんは、三日月さんにお姫様抱っこをされたがっていましたので、また何か言われそうですね。
 はっ、ところで有朋さんはどうしたのでしょうか?

「あの、蝶湖様、私と居た……」
「蝶湖。そう呼んでねって」

 お願いしたのに……と憂い気に言われます。握られたままの手に力が入り、上目づかいで見られるとか、これはなんだか恥ずかしいです。三日月さんのお姫様抱っこよりもずっとずっと恥ずかしい気がします。

「あ、はい。えっと……蝶湖……さん?」

 これが限界です。呼び捨てはきららちゃんにだってできません。

「……仕方ないわね。譲歩します」

 納得していただきました。それでも心の中では蝶湖様と呼ばせていただきますね。だって、私にとっては蝶湖様ほどの素敵な方は知らないのですから。
 そこでもう一度先ほどのことを尋ねます。

「ああ、あの変……んっ、ん。一緒にいた女の子? でしたら一番隅っこのベッドにいらっしゃいますわ」

 変っていっちゃいましたね。すごくわかります。しかし、蝶湖様の完璧なお嬢様を一瞬でも剥がす有朋さんはある意味最強なのかもしれません。

「有朋さんも倒れられたのですか?」

 元気そうに見えましたが、もしかして昨日の後遺症でしょうか?

「私たちがうららのところに駆けつけたら、なんだかすごく興奮して足を滑らせて机に頭をぶつけたのよ」

 よくもわるくも有朋さんでした。

「それで、体育科の鬼山田耕三先生がここまで抱えて運んでくださいました」

 鬼山田先生の優しさには敢えて口をつぐむことにします。私の平穏のために。
 なんとか状況が分かったところで、ふう、と息をつけば、それを見て蝶湖様がためらいながらに声をかけてこられました。

「ねえ、うらら。あなた、私たちのこと面倒で関わり合いになりたくないと思ってない?」
「……どういうことでしょう」
「正直、月詠家や望月家は少しじゃないくらいの大きな家なの。ここの学園でも随分と浮いてしまうくらいのね。他のみんなも似たような事情で、なかなか心からうちとけられる人がいなくて……」

 物悲しそうに語る蝶湖様は、それだけで一枚の絵画のようです。

「でもね、昨日少しお話しただけでも、みんなあなたが気に入ったのはわかったでしょう?」
「そんな……私など」
「うららのお宅が普通のお家だというのは聞きました。それでも、私たちは仲良くできると思うの。けれど、あなたがそれを厭うのであれば、無理強いはしたくない」

 だから、うらら。あなたが選んで、と。見つめる蝶湖様の瞳が訴えています。
 確かに庶民の私が、良家の皆さんの中でも頂点にいらっしゃる方々と仲良くなるというのは気おくれがします。そしてきっとそれが気にいらないという人たちもいらっしゃるはずです。
 庶民になりたいと憧れていた前世でしたら、ただでさえ雲の上の方々など、絶対に近づきたくないと思ったでしょう。貴族に縛られていながら、貴族から本当に抜け出そうとせずに、心までもが、がんじがらめのあの頃だったら……

 でも今は? 今は……。
 家族と笑い、友達と語り、人生を謳うことの出来る今ならば、
 心はとても自由なはずです。
 例えそれが、普通なら庶民の私に手の届かない人でも、きちんとお互いが分かり合おうという気持ちになれば、きっと仲良くなることができます。
 ましてや目の前に、こんな私とでも仲良くなりたいと訴えかけて下さる方がいるのです。そして、私も仲良くなりたいと思っているのです。
 そう、すとん。と私の心に落ちてきた思いを、笑顔で蝶湖様に返します。

「仲良くなれます」

 私の思いを感じ取ってくれた蝶湖様が満面の笑顔で手を握り締めてくれました。

「もう一度言うわね。ねえ、うらら『私のお友だちになって』」
「はい、こちらこそ。よろしくお願いします、蝶湖さん」

 ニコニコと笑いあう私たち。
 まずは、ここから始めないとねえ。と、蝶湖様が小さく呟いていたような気がしましたが、一体何のことでしょうか?