「小説は不細工が書くもんやあ、」という人がいる。
 小説は書くもの。
 不細工が書くもの。
 言っていることがわからない。・・・ものだ、とは・・・するのが当然とか一般的とかいう意味だ。不細工が書くのが当然とか、一般的ということになる。
 言っていることがわからない。何が言いたいのか。小説書く人は容姿が悪いといったほどの意味だが、どういう意味か。それがどうしたのか。小説を書く人は容姿が悪いということを熱心に言ってくるが、何が何やらわからない。それがどうしたというのか。
 小説を書く人の容姿が悪かったら、何か。だいたい小説を書いている人の容姿をとやかくいうひとなぞ、いない。というか、それはその時点で小説の話ではなく、容姿の話だ。
 しかも鏡を見なければ、自分の顔がどうとかいう考え方は絶対的にない。
 間接的に小説を書いている人の容姿を侮辱しているのだ。
 外見至上主義によるハラスメント行為ではないか。
 小説は不細工が書くべき、ということ。小説は不細工が書くのが道理だということ。小説が不細工が書くのが道理だ、というのは論理的に考えて、道理じゃない。
 書くもの、という習慣。あるいは比喩、イメージ。
 小説は不細工が書く、という話者のイメージとしてもっともということだろう。
 話者の気持ちの押し付け、ハラスメント行為。
 小説のあり方であろう。小説のあり方が不細工が書くものということ。小説のあり方の考え方の押し付け。ハラスメント行為。

 「小説書く奴はあのぶすがあだ、」というやつがいる。
 これも主語が二つ。
 小説を書くやつは
 あのぶすが
 あのぶすが、小説を書く。
 言っていることがわからない。わけがわからない。だいたいなんで小説書いている人の容姿が出てくるのか。そもそも小説を書いている人の容姿を言及する人は初めてだ。というか、小説を書いている人をどうこう言う人自体まれだ。
 しかもなんでそういわれて、「はいそうですか」となるのかもわからない。
 彼らは容姿がどうとかだ。
 あのぶすは、述語ではない。だから、小説書くやつは、あのぶすではない。
 外見至上主義によるハラスメント行為。
 「は」のあとに正解が来る。つまり「あのぶす」に力点がある。
 
 「小説書くやつは不細工だ」という。何がいいたいのか。小説書く人は容姿が悪いといったほどの意味だが、それがどうしたのか。容姿の悪い人が書くものだ、と言った意味になる。小説はそもそも書いている人の容姿なぞ問わないし、それを取りざたする人もいない。つまり、書いている人の容姿の話題が出てくることはない。容姿が問われることのないことをしている人を外見で判断するハラスメント行為といえるだろう。
 彼らは容姿がどうとかだ。外見至上主義による、外見への蔑視といえるだろう。話者の世界認識。話者の習慣、慣習による経験に基づいた判断。非論理的、エモハラ行為、迷惑行為。

 「小説はぶすが書くもんや」という人がいる。小説は容姿の悪い人が書くものだ、と言った意味になるが、それがどうしたというのか。小説は容姿の悪い人が書くのが常識、一般的という意味だが、意味がわからない。
 小説はぶすが書くのが道理ということだ。小説はぶすが書くのが道理というのは、論理的に考えて、道理じゃない。
 外見至上主義による、迷惑行為。

 「やっぱり小説書く奴はあのぶすがあ、だ」というやつがいる。言っていることがわからない。異常極まりない。尋常じゃない。やっぱり小説を書く人は容姿の悪い人だ、というのだ。私の容姿が悪いとでもいいたいのか。何が何やらわからない。私の容姿のことを言っているならひどい。

 「小説書くのは不細工やったあ」という人がいる。小説書く人は容姿がわるかった、といったほどの意味だが、どういうわけか。そもそも小説を書く人が特定の容姿の人に限定されるという考え方が異常極まりない。というか、小説を書いている人の容姿が出てくること自体、異常極まりない。

 つまりぶすかぶすじゃないかを言っているだけなのだ。