「小説は女が書くもんやあ」という人がいる。小説は女が書く、と言っている。これだと主語が二つ。文が二つである。
 小説は書く。女が書く。
 小説は書くもの。
 女が書くもの。
 小説は書くものだ。女が書くものだ。
 よりにもよって小説は女が書くのが常識ということになる。
 あるいは小説は誰が書くかというテーゼでもあるというのか。
 小説は女が書くもの、が前提。結論、女が書いたものが小説。女が書いたものが小説といっている。
 小説は女が書くのが当然と言っている。小説は女が書くのが当たり前と、言っている。
 小説は女性が書くべき、と言っている。
 小説は性的役割分担とかないから、女性が小説を書く、ということはない。小説は女っぽいやつが書くということか。
 これは話者の心情的な判断によるものではないか。
 小説のあり方が女性が書くということか。小説のあり方の考え方の押し付け。ハラスメント行為、迷惑行為。
 小説は女性が書くべきということ。 

 「女になってから書けばいい」という人がいる。女性になってから書けばいい、が前提。結論、これから女性になる、みたいな言い方。やはり性的役割分担とかではないから、女性ではなく、女っぽくなってから書けばいい、といった意か。女性が書くという小説のあり方の強要。
 

 「女が書くような小説を書いている」という人がいる。女性が書く小説を書いている、と言っている。国語の感想や読書感想文でもそんなこというやつはいない。
 女が書くような小説とは何か。女が書くではなく、女が書くようなと、彼らは言っている。つまり女性が書くような小説は女が書く小説ではない。つまり女が書くような小説とは男が書く小説ということになる。
 私はネットで小説を書いているわけだ。ネットで女が書いたような小説があったら、それは女が書いたって思うだろう。そうして、彼らは私が男であることを知っている。つまり、その小説を私が書いた小説とは思っていないということになる。
 ような、とは似ているという意だ。女が書く小説に似ているということか。

 「なんか書くの女やで」という人がいる。女性がなんか書く言っている。
 なんか書くの女、が前提。なんか書いていたら、女ということ。結論。
 やはり性的役割分担ではないから、なんか書くのは女っぽいやつっていうことになる。
 なんか書くあり方が女性ということ。

 「女が書くもんやで」という人。女性が書くと、言っている。女が書くのが当然と言っている。女っぽいやつが書くものということになる。書くあり方が女性ということ。

 「そんなに小説が書きたいなら女になればいい」という人がいる。