「俺らのほうが、書く側だ」という人がいる。
言っていることがわからない。概念が特異なのだ。小説を書く側とか言っているのだ。小説は個人的だから書く側とかないだろう。映画とかで台本書く人とか、演じる人とかいわゆる役割分担みたいのがあるが、小説は個人だからそんな役割なんてのはないだろう。つまり、書く側とかそんなものはない。
小説は集団でするものではなく、個人が強い。人それぞれだ。言っていることがわからない。どういうことなのか、まったくわからない。
「側」とは相対するものの一方。書くのと相対するものとは。読む、であろう。つまり、「俺ら」は読む側にまわったというわけだ。ということは、私のインターネット上に投稿したものを呼んでいるというわけだ。
俺らの方が書く側、前提。結論、お前の方が読む側だ、と言わんとしている。つまり私の方が読む側だ、と主張しているのだ。
なんの話かわからない、風評被害、迷惑行為。
自由権行使妨害行為。
話者の世界認識ではなく、私の世界認識で、書くのは自分ではなく、話者がいうところの「俺ら」ということ。
他人が書いていることに関し、「俺らの方が書く側だ」と主張している。何か書くのは自分ではなく、他者だと言っている。
異常な言動。
ただ書くだけのことにこだわっているのだ。ありえない。賞をとるわけでも、人に評価されるわけでもなくただ書くだけのことを俺らの方が書く側だ、といっているのだ。
文章力があるとか国語力があるとかでなく、ただ書くだけのことにこだわっている。つまり文章の考え方じゃない。つまり話者の言うのは文章の話じゃない。文章ではなく行動の話をしている。書かれた文章の話ではなく、文章を書くという行動の話をしているのだ。
私はただ書くだけのことにこだわりなぞない。何か賞をとったり、評価されたりすることに価値を見出す。私たちがインターネットをつかって自分の作品を公開するのは、少なくとも人に読まれることを期待している。
創作に従事している人は「俺らの方が書く側だ」なんて言わない。、私たちはそういうことを言わない。
公共の福祉に反しない限りの自己情報コントロール権行使妨害。
「俺らや」という人がいる。人がやっていることを「俺らや」と言っているのだ。小説を書くのは俺ら、と言っている。どういうわけか。話者は著者が小説投稿サイトで小説を書いていることを知っている。それを俺らや、と言っている。
小説を書くという動作主体が誰かという考え方。それはもち、現に小説を書いているその人ということ。よって現に小説投稿サイトで小説を書いているのは、著者であり、話者がいうところの「俺ら」ではない。
「小説書くの俺らや」というやつがいる。人のことにかかわる迷惑行為。話者には作品、文章がいいとかどうとかいうことがない。
言っていることがわからない。概念が特異なのだ。小説を書く側とか言っているのだ。小説は個人的だから書く側とかないだろう。映画とかで台本書く人とか、演じる人とかいわゆる役割分担みたいのがあるが、小説は個人だからそんな役割なんてのはないだろう。つまり、書く側とかそんなものはない。
小説は集団でするものではなく、個人が強い。人それぞれだ。言っていることがわからない。どういうことなのか、まったくわからない。
「側」とは相対するものの一方。書くのと相対するものとは。読む、であろう。つまり、「俺ら」は読む側にまわったというわけだ。ということは、私のインターネット上に投稿したものを呼んでいるというわけだ。
俺らの方が書く側、前提。結論、お前の方が読む側だ、と言わんとしている。つまり私の方が読む側だ、と主張しているのだ。
なんの話かわからない、風評被害、迷惑行為。
自由権行使妨害行為。
話者の世界認識ではなく、私の世界認識で、書くのは自分ではなく、話者がいうところの「俺ら」ということ。
他人が書いていることに関し、「俺らの方が書く側だ」と主張している。何か書くのは自分ではなく、他者だと言っている。
異常な言動。
ただ書くだけのことにこだわっているのだ。ありえない。賞をとるわけでも、人に評価されるわけでもなくただ書くだけのことを俺らの方が書く側だ、といっているのだ。
文章力があるとか国語力があるとかでなく、ただ書くだけのことにこだわっている。つまり文章の考え方じゃない。つまり話者の言うのは文章の話じゃない。文章ではなく行動の話をしている。書かれた文章の話ではなく、文章を書くという行動の話をしているのだ。
私はただ書くだけのことにこだわりなぞない。何か賞をとったり、評価されたりすることに価値を見出す。私たちがインターネットをつかって自分の作品を公開するのは、少なくとも人に読まれることを期待している。
創作に従事している人は「俺らの方が書く側だ」なんて言わない。、私たちはそういうことを言わない。
公共の福祉に反しない限りの自己情報コントロール権行使妨害。
「俺らや」という人がいる。人がやっていることを「俺らや」と言っているのだ。小説を書くのは俺ら、と言っている。どういうわけか。話者は著者が小説投稿サイトで小説を書いていることを知っている。それを俺らや、と言っている。
小説を書くという動作主体が誰かという考え方。それはもち、現に小説を書いているその人ということ。よって現に小説投稿サイトで小説を書いているのは、著者であり、話者がいうところの「俺ら」ではない。
「小説書くの俺らや」というやつがいる。人のことにかかわる迷惑行為。話者には作品、文章がいいとかどうとかいうことがない。


