金魚姫


 デビュー当日、きちんと髪を結いあげて、しっかりとお化粧もした私を、とても可愛いわとお母様たちが褒めてくれました。フリルのたくさんついた真っ赤なドレスは少し恥ずかしかったのだけれども、私の銀髪によく似あうからと、アンジェお姉さまに選んでいただいたものです。

 お父様にエスコートされフロアに足を踏み入れた時、あまりの人の多さと豪華さに驚いてしまいました。キラキラとしたシャンデリア。色とりどりの美しいドレスが王宮のフロアに花を咲かせています。本当にここでダンスをするのでしょうか。
 足が竦んできました。ただでさえ足の悪い私です。あれだけ練習してきたのだけども、とても自信が持てません。
 どうしましょう、お父様の顔を見上げました。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お父様はのんきに声をかけてきます。
 
「ねえ、ティナ」
「はい……お父様」
「申し訳ないんだけども、どうも今日は昔の古傷が痛んでね。……どうにも踊れそうにないんだ」
「え!?」

 大げさに太ももをさすりながら、お父様はそう言いましたが、古傷など初耳です。今まで全く聞いたことのないことをしれっと言い出す姿に唖然としました。
 では、一体私はどうすればいいのでしょうか?先ほどまでの緊張など一気に吹き飛び、立ちすくんだその時に、私のすぐ後ろから凛とした声がかかります。

「失礼します、ランドルテ伯爵。よろしければその光栄、僕にお任せいただけないでしょうか?」

 振り向けばそこには、美しい森のような緑の瞳に品格のあるブロンドの男性が背筋を伸ばし立っていました。

「おお、君はマイロン侯爵のところの息子さんだね」
「アルフレッド・マイロンです。ランドルテ伯爵」

「ア……アルフレッド……様?」

 すらりと伸びた背に、豊かになびくブロンド、涼し気な目元。昔の面影はあるものの、あまりに成長した姿に呆然としました。

「ぜひ、クリスティーナ嬢とのダンスをお許しください」
「ああ、そうだね。では君にお願いするよ、アルフレッド君」

 頼んだよ。その言葉で正気に戻ります。慌ててお父様に声をかけようとした時、ゆるやかに音楽が鳴り始め、あっという間に私の手はアルフレッド様の手の中に包み込まれてしまいました。

「待って、アルフレッド様!」
「待たない」

 もう、待たない。そうはっきりと宣言され、ダンスフロアへと連れ出されました。

 ああ、もう気にしても仕方がないわと切り替えることにします。腰に手を回し、ホールドの形をとり、ダンスが始まりました。
 デビューダンスは明るめのワルツ。少しテンポが速いので、いつもなら遅れないようにと必死で足を動かしますが、今日はどういったことかとてもと足が楽に動きます。

 あんなに緊張していたからきっとダメだろうと思っていたのに、とても楽しい。思ってた以上に踏めているステップをみて気が付きました。
 ああ、これはアルフレッド様のおかげなのだと。要所要所、私が踏み切れないステップを上手に捌いて流してくれています。

「アルフレッド様っ……」
「なに?クリスティーナ」

 随分と高くなった背に声をかけて見上げれば、そこにアルフレッド様の蕩けるように私を見つめる瞳がありました。思わず目を逸らしてしまいます。

「あのっ、すごく……ダンスが、お上手なのですね」
「練習したんだ。とても」
「そんなに?」
「ああ、君がどんなステップを踏んでも、どんなふうに舞っても、君が一番綺麗に見えるように……君のためだけに、だ。クリスティーナ」

 まるで沸騰したかのように、顔が真っ赤になったのがわかります。心臓が跳ね上がって胸が痛いの。どうして、そんな、そんな……

 軽快な音楽がダンスの終わりを告げ、私たちデビュタントたちへの拍手へと変わりました。足の悪い私は一曲だけのつもりだったので、ダンスフロアから抜けようとしたところ、ブラウンの髪色の青年に声をかけられました。

「ケビン・ガーランドと申します。お嬢さんよろしかったらお相手お願いできますか?」

 まさか声をかけられるとは思いませんでしたから、どうお断りしようと逡巡したところ、不機嫌そうな声が隣から響きました。

「申し訳ない。ランドルテ伯爵令嬢は足が痛むようなので、これで失礼させていただきます」

 そう代わりにアルフレッド様が勝手に答え、私の腰に手を置き、ささっとテラスへと連れ出してしまった。

 


「すまない。クリスティーナが他の男に声をかけられるのが嫌で、つい」

 少しも申し訳ないなどと思ってない口調でアルフレッド様が謝罪しました。

 連れてこられたテラスから見るフロアは、ガラスの鉢の中で泳ぐ金魚たちのようです。色とりどりの美しい金魚。それをしばらく見つめ、少し落ち着いた私は先ほどの疑問を口にだしました。

「どうして私のために練習を?……あなたにあんなにひどいことを言ったのに……」

 フッ、そう苦笑してアルフレッド様は言いました。

「あの頃僕は、ただ君に好かれたくて付きまとっていただけの子供だった。君が可愛がる金魚にまで嫉妬もした。クリスティーナが本当はあの金魚の何に憧れていたかも知らずに」
「……そんなこと」
「あれからもずっと見てた、少しずつ動き出す君のことを。つたなくても、自分の足で歩こうとする君を……だから、だから僕は、君の横で一緒に歩いて行ける者になりたいと、ただそれだけを願って努力してきたんだ」

 今にも泣きそうな、でも力強い口調で言葉が続きます。

 でもそのうちにどんどんと落ち着かなくなってきた。君はとても綺麗になって、早くしなけりゃ他の男にとられるんじゃないかって。

 デビューダンスを踊ると聞いて、ランドルテ伯爵にみっともなく縋り付いた。どうかクリスティーナと踊らせて欲しいと……

 熱く、そしてとても甘く囁くアルフレッド様の声に、心が躍りだしてしまうの。

「クリスティーナ、どうか君を思うことを許してくれ」

 ふわり、ふわり、と赤いドレスのフリルが綺麗な波をうねり舞います。
 私の心も、ふわり、ふわり舞い上がります。ああ、本当ですか、アルフレッド様?

「私も……初めて出会った頃から、ずっとあなたのことを思っていました」

 口に出してしまった、この思い。殺してしまったはずの、この思い。

 泣いて、怒って。なくしたはずのこの思い。

 でも、笑って、愛してもいいですか?

 思わず零れだした涙の向こうで、アルフレッド様の満面の笑みが滲みます。
 あの時の泣き顔はもうありません。


「僕の金魚。美しい金魚姫。愛してる。もう僕以外とは泳がないで」


 そう言って、アルフレッド様は私の涙を掬い取ってくれました。