完璧からはほど遠い

「そっか、そうだよね、入れないか」

「あの、鍵を返しにきたんです」

 私は鞄を漁る。そして預かった鍵を取り出した。何度も使用した冷たい銀色のそれは、キーホルダーもついていないシンプルなものだ。使っていた期間はそれほど長くはないのに、懐かしさに溺れる。

 ああ、泣きそう。でも、泣いてはだめだ。

「お返しします」

 すっと差し出した。成瀬さんはじっとそれを眺める。そして大きな手をゆっくり動かし、私から受け取った。

「わざわざありがとう」

「……いえ、ありがとうございました」

 頭を下げる。立ち去ろうとして、成瀬さんが思い出したように言った。

「待って! 佐伯さんが持ってきてくれたおかずが入ってた容器、返すから」

「いえ、別に捨ててもらって」

「ちゃんと洗ったから、待ってて」

 そう言い残し成瀬さんが廊下を進んでいく。私は仕方なくその場で立ったまま待つことにした。リビングへ続く扉が開けられ、成瀬さんがそこに吸い込まれていく。そこでふっと、ある香りが鼻についた。

 カレーだ。

 リビングから微かにだけれど、カレーの匂いがする。

 ぐるぐると頭が回って倒れそうだった。考えられるのは一つ、高橋さんが作って渡したんだろう。私は成瀬さんの好物を教えてはいない、ということは、成瀬さんが高橋さんにリクエストしたんだ。

 成瀬さんが――

 そう考えた瞬間、我慢していたものが一気に溢れかえった。涙が目から勢いよく流れる。

 どうしよう、こんな顔見せられない。どうしよう、きっと勘づかれる。でもだって、止められるわけがない。私はずっとギリギリの状態だったのだ。