完璧からはほど遠い

 成瀬さんが私に向いて言う。声を出そうとして、何も出なかった。掠れた空気がただ喉から漏れただけ。きっとこの関係は終わりなんだろうと思っていたけど、その終わりの形はこんなものじゃないはずだった。

 すかさず、高橋さんが笑顔で割り込んだ。

「成瀬さん! 私がやりますよー!」

 ぎょっとした顔で見てしまった。彼女はニコニコと花のような笑顔で成瀬さんを見ている。私の存在なんて眼中にないようだ。成瀬さんも少し目を丸くしていた。

「私料理得意なんです! ご飯作るの任せてください、私はほらー佐伯さんみたいに責任あるお仕事任されてるわけじゃないから負担にならないし? 営業部エースの成瀬さんの健康管理が出来るなら、それもお仕事になりそうだし、あはは」

 そんなことを言う彼女に、駄目だと叫んでしまいそうだった。

 偶然から始まったとはいえ、私だけに任された特別な役割。自分の代わりにこの子が合鍵を使って入り、食事を手渡すところを想像するだけで泣きたくなった。これは完全に私情だ、私は嫉妬しているのだ。

 私以外に成瀬さんのあの姿を見せてほしくない、という、勝手な独占欲。

 許可しないでほしい、断ってほしい。私はそんなの耐えられない。

 祈る気持ちで成瀬さんを見上げた。彼は考えるように高橋さんを見ている。私の視線に気づいているのだろうか、それとも私の願いなんてどうでもいいだろうか。



「……いや、気持ちだけ受け取っておくよ」

 苦笑いしながら成瀬さんが言った。

「さっき言われてその通りだと思った。俺は人に甘えすぎたから、いい加減自分のことは自分でしないとね。高橋さんの気持ちは嬉しいけど、君は君でこれから仕事を沢山覚える必要があるからね。自分のことを頑張って」

 断りのセリフが聞こえてきて、私は安心で泣きそうになった。ああ、よかった、少なくとも高橋さんにこの合鍵を渡すことはなさそうだ。肩の力が抜ける。

 彼女は頬を膨らませて拗ねている。成瀬さんは話を切り上げるように言った。

「免許証貰うね、届けてくれてありがとう。もう夜遅いから」

「はーい今日のところは帰りますね。あ、佐伯さんももう帰りますよね? 一緒にタクシー乗っていきませんか? 家どこですか」

「え!? あ、えっと、今日は友達の家に泊まるから……会社の近くなんだけど」

「よかった方角一緒。じゃあタクシー相乗りしましょ。成瀬さん、おやすみなさーい」

 高橋さんは私の腕を強く掴んだ。長い爪がやや食い込んで痛みを覚えるほどだ。結局今日、成瀬さんに話したいと思っていたことが叶わない。私は困った視線を送ったが、成瀬さんもどうしようもない。高橋さんがいる限り、私がここで残るのは無理がある。