「いくら入ってたの?」

「十万円」

 恒くんがかるく口笛を鳴らした。今日は火曜日、彼の家でカレーが入った鍋をぐるぐるとかき混ぜている。

「こんなの受け取れないよ」

「なんで?」

「いや、意味わからないし」

「くれるもんは貰っとけばいいのに」

 恒くんはさして興味もなさそうに缶ビールを煽った。私はコンロの火を止めて彼の前に座る。

「やってんな?」

「え?」

 枝豆に伸ばしかけた手が止まり私を見つめる。

「な、なにを?」

「まったく、無差別かお前は。あんなおばさんにまで」

 私は身を乗り出して恒くんのほっぺを両手でつまんだ。

「ふはひはひへいはっはんはよ」

「なんて?」

 つねってた頬を開放した。少し赤くなっている。夫にこんな真似はできない。ある意味で対等な関係は居心地が良い。

「昔は綺麗だったんだよ」

「昔って?」

「入社してすぐだから十四年前かあ」

 懐かしそうに天井を見上げる彼に釣られて顔を上げたが真っ白な天井があるだけだ。

 なるほど。

 入社してすぐの恒くん、四年先輩の小泉さん。教育係として接しているうちに体の関係になる。

 生まれついて遊び人の恒くんに、結婚適齢期に差し掛かった小泉さんは本気になる。いつかは結婚してくれると信じて待ち続けた結果……。

 四十歳になってしまった一一。そんな所か。

「いつか刺されるよ」

「え? なんで」

 まるで悪びれた様子もない彼、実際に悪いとも思っていないのだろう。

「まったくもう」

 私は立ち上がってキッチンに戻る、コンロに火をつけるとフワリと後ろから抱きしめられる。ほんの微かに香る香水の匂い。

「香水なんて珍しいね」

「前に好きだって言ってたろ? シャネルのチャンスだっけ?」

「うん」

「香水売り場は気まずいよな」

「私のために?」

「あたりまえだろ」

 分かってる。水曜日は違う女に同じ事を言っているのだろう。木曜日はまた違う女。でも嬉しい。彼に悪意は無いから。

 火曜日は私の事が本気で好きだと伝わってくるから。だから踏み込まない。これ以上は。絶対に。