「あ、ありがとう……。それと、偽りでも恋人同士なんだから敬語はやめてよね。あと、名前……私のことは名前で呼んでくれないと、怪しまれるじゃないのっ」
「分かった……よ。そ、それじゃ名前で呼ぶね、瑞希」

 まさかの呼び捨てに胸が締め付けられる。
 異性に名前で、しかも呼び捨てなどこれが初めて。
 きっとこのドキドキはそれが原因だと、瑞希は自分に何度も言い聞かせた。

「そ、それでいいわよ。さっ、早くこの私を楽しませてちょうだい」

 誤魔化すように急いで移動しようとする瑞希。
 行き先を知らないのに動き出すほど動揺していた。

「そっちは反対方向だよ」

 咄嗟に手を掴まれ瑞希はその歩みを止める。

 初めて異性に握られた手。
 瑞希には免疫がまったくなく、ドキッと心臓に何かが突き刺さる。
 恋人同士なら自然だと頭では分かっているのに、恥ずかしさから瑞希の顔が真っ赤に染まっていった。

「うぅ……。これは誠也を試しただけなんだからねっ」
「そういうことにしておくよ。さっ、仕切り直して行こうか」
「手……その、手を離してくれないと……。べ、別にイヤとかじゃないんだけど、その……ちょっと恥ずかしいから」

 手から伝わる誠也の温もりは思ったより心地よかった。
 それは自分が男嫌いなのを忘れてしまうほど。
 だが偽りの恋人とはいえ、さすがに手を繋いで歩くのには抵抗があり、瑞希はそっと誠也の手から離れた。

 なぜイヤじゃないと言ってしまったのだろう。
 分からない、誠也とは偽りの恋人でただの虫除け程度のはず。
 その答えが分からないまま、瑞希は誠也の後ろを静かについて行った。

「ここが今日のデート場所だよ。きっと瑞希も楽しめるはずだからね」

 リードしているようで、実を言うと誠也は緊張しっぱなしだった。
 瑞希の手の温もりがしっかりと残っていて、その余韻に浸ってしまう。

 まだデートは始まったばかり、これでは瑞希を満足させられない。
 誠也はその温もりを一旦忘れ、水族館の中へ瑞希と一緒に入っていった。