「平気……。私は平気ですわ。誠也、明日もよろしくね?」

 僅差で勝利したのは振り払うという選択。
 半ば強引に誠也のもとを離れ、瑞希は逃げるように自宅へ足早に歩き始めた。


 あのキスから自分の感情がコントロールできない。
 部屋の片隅で蹲りながらひとり考えている瑞希。
 たかが皮膚の接触にすぎないのに、頭の中ではキスシーンが何度も再生される。

 誠也はただの虫除け程度の存在だったはず。
 それなのに──一体いつからその存在が変わってしまったのだろう。

 デートで距離が近くなったのは否定できない。が、初めて異性と出かけたから緊張と好奇心しかなかった。
 本当に……? 男嫌いなのにどうして誠也は平気なのか。それが一番の謎であり、きっとその謎を時明かせばこの不可解な行動も元に戻るはず。

 一緒に過ごす時間はどちらかと言うと楽しい方。
 楽しくて楽しくて仕方がない。そう変わったのはデートがきっかけ。
 優しい誠也の心に触れ、氷姫の仮面が徐々に剥がれ始めたから。

「私……どうしちゃったんだろ。誠也は別にタイプってわけじゃないし、それ以前に男なんめみーんな嫌いだったはずなのに……」

 変わっていく自分が怖い。
 それは誰しもが同じで、停滞こそが一番安心する。

 最近の瑞希は学校でこそ氷姫だが、誠也の前だけではその仮面が外れる。
 男な上に平凡で特に取り柄もないはずなのに、なぜか嫌悪感をまったく抱かなかった。

 なぜなんだろうか──考えられる理由が思いつかない。
 当然、好みのタイプなどあるわけもなく、誠也を選んだのは女性に興味がなさそうで、しかも愛のラブレターという切り札を持っているだけ。

 誠也と偽りの恋人関係になってからは告白されることはなくなり、平穏な学生生活を送っている。唯一の誤算は誠也が瑞希自身の心を乱すこと。

 本人はそんな気がないのは知っている。
 意識してしまうのは瑞希のみ。

 自分だけが振り回されるのに納得がいかず、瑞希はこの感覚が何を意味するのか知りたかった。

「少し前まで普通だったのに……。ただの虫除けにしか思っていなかったのに……。だけど──前原さんとキスしたって聞いたら、いても立ってもいられなくて……」

 単なる負けず嫌いというわけでなく、ましてやいらぬ噂が立つのを恐れていたわけでもない。
 なぜだか分からないが、幼なじみという存在とだけキスするのが許せなかった。

 心に巣食う黒いモヤの正体はなんなのか?
 男という存在がどうして気になるのか?
 いや、男なら誰でもというわけではなく、誠也という存在だけが気になっている。