ーーー
「これ終わったら買い物行く?その後は川田さんと飲みだよね?」
「うん、コーヒー入れておいて欲しいー」
そう言うと彼女は洗面所の扉を締めていつも聞いている英語ニュースを流しながらスキンケアと化粧を始める。化粧品は様々なインスタアカウントが紹介しているものから厳選したものだ。彼女が余念なく自己の美を最大化している間にまずはコーヒーメイカーのスイッチを入れる。食器を片付けて食洗機に放り込み、食洗器を回している間にコーヒーをいれる。一連の動きはロボットのように正確で効率化されている。コーヒーを入れるのを待ちながら、ユーチューブで料理動画を流す。群馬の焼肉屋の店長がエクアドルのシェラスコ料理に挑戦していた。
「ねぇ、なんで台所でコーヒー淹れたあといつも片付けないの?」
「あーごめん忘れてた、今片付けるから」
 聖域から出た途端に自分の家が思い通りの配置になっていないことを抜け目なく指摘すると、彼女は寝室に戻って自分の癖を最も強く出すためのピアスを選び始めた。
同じような生活を送っているとは思えないほどに不気味に綺麗な肌をしている。
 彼女が空けた聖域に滑り込み、簡単に化粧水、保湿クリームで肌に栄養をあたえたあとで、濡らした手にジェルをなじませて髪型を整え、アイブロウで薄めの眉頭を整える。自分でかっこいいと思えるかわからない顔がそこにあった。しっくり来たことはないが、30年間体の上に乗っていたものだ。
 キッチンカウンターから通しで見たテレビでは、各地の公園でセミがあらわれて夏の訪れを告げていた。邪気というものがあることを全く知らないような顔でセミをこちらに見せつけてくる男の子が映し出されるとともに、レポーターが最近公園で蝉の幼虫を食事目的で採集する人が増えており、蝉の保護のためにセミ取りを禁止する公園が出てきたことを伝えていた。
 彼らは何年も樹の下の土の中で守られながら安全に樹液を享受し、子供の指でも捕まえられるような脆弱さで生き延びる。時が来たら一晩で樹の上に這い上がり、けたたましい声で鳴きながらそこら中を飛び回り、つがいを見つけて子孫を残したら路上で腹を向けて横死していく。毎日歩いているアスファルトの下には、何百の幼虫たちが樹液を吸って飛び立つ日に向けて自らを肥え太らせている。
ーーー