目に粉が詰まった黒板消しで、意味もなく、ただ黒板をなでる。


 クラスメイトたちも、徐々に去っていった。




「それ、何やってるの」




 彼女から声がかかったのは、言うまでもなく、二人きりになったその瞬間。




「暇だったから」
「それ、逆にチョークの粉、のばしてない?」
「……まあ」




 彼女は苦笑した。






 別に、隠していたわけじゃない。
 彼女との関係を。


 ただ、守りたかった。


 目の前の、今にも崩れ去っていってしまいそうな、脆くて儚い唯一を――。







 僕が黒板消しを置くと、彼女も口を閉じた。

 唐突に訪れる、無音。



 この、二人だけの静寂が、僕は嫌いじゃなかった。





「――醜くなんて、ないと思う」





 次こそは絶対に言おう、と決めていたその言葉は、静かな教室によく響いた。




 黒板に刻まれた、小さな傷。

 そっと触れながら、僕はやっと、振り返る。




 予想通り、彼女は大きく目を見開いていた。




「…………え」
「醜くなんて、ない。“ありがとう”を言える人が、醜いわけないよ」




 はっきりと、力を込めて放ったその音は、空気を伝って、耳にすっと入り込んで、ゆっくりと彼女に届いた。


 届いた、んだ。





「……私、あのとき君に告白した自分を、今すごく、褒めてあげたい」




 思えばそれが、初めて僕が、泣きながら笑う彼女を、心から愛おしく感じた瞬間だった。





「“ありがとう”、颯くん」




 そしてそれが、彼女に初めて、下の名前で呼ばれた瞬間だった。