ブラッドは「アルデラ様、どうぞ」と言うと、王の証のブローチをアルデラに手渡した。

 受け取ったブローチは、公爵家当主の証と対になっているような印象を受ける。

 サイズはどちらも手のひらほどある大きなものだ。太陽を象った銀細工の公爵家の証とは違い、王の証は月を象った金細工だった。

 どちらも中心には琥珀色の石がはめられ、その中にはそれぞれの紋章が刻まれている。

(銀の太陽と金の月って……普通は太陽を王家のモチーフに使うんじゃないの?)

 太陽を公爵家に使うあたりマスターは、王家を軽視していたのかもしれない。

(いくら国を救った英雄でも、これは王家から危険視されても仕方がないわね……)

 そんなことを考えながら歩ていると、王子はある牢屋の前で立ち止まった。その牢屋はとても異質で、複雑に入り組んだ鉄格子のすべてに見たこともない記号が細かく刻まれている。

 王子はアルデラを振り返った。

「この中に父上が捕らわれています。アルデラさん、ブローチに魔力を流してください。そうすることで牢が開かれます」

「私がですか?」

 アルデラが危険はないのかと疑っていると、王子は申し訳なさそうな顔をした。

「私は空間転移魔術しか使えないのです。それも血すじだから使えているだけで、魔力自体を操ることはできません」

「そういうことなら……」

 アルデラは仕方なく王の証のブローチに魔術を流し込んだ。異質な牢屋はまるでパズルが解けるかのように機械的に動いたあと扉が開く。

 王子が「父上!」と呼びながら牢の中へ入って行く。

(うまくいったようね……あれ?)

 ブローチに魔力を流し込むのをやめようとしたのに、無理やり奪われるように魔力がブローチに流れていく。

「えっ!?」

 異変に気がついたブラッドがアルデラを助けようと手を伸ばした瞬間、アルデラの周囲の景色が変わった。

「どこかに飛ばされた!?」

 アルデラは『また王子に嵌められた!?』と思ったけど、手に持っているブローチを見て、王宮お抱えの魔道具師に言われた言葉を思い出した。

 王宮お抱えの魔道具師はブローチを研究した結果『異界の扉を開くことができるようなのです』と言っていた。

「もしかして、王の証のブローチも同じ作りだったの!?」

 二つはとても似ているのでその可能性が高い。

「異界って……ここはどこ?」

 周囲を観察すると美しい森が広がっていた。淡い光が降り注ぎ幻想的な空間を作り出している。

「よく来たな」

 背後から声をかけられアルデラは驚き振り返った。そこには黒い髪と黒い瞳の青年が立っていた。

「待っていたぞ」

「……貴方は?」

 青年はニコリともせず「俺のことはマスターと呼んでくれ」と言った。

「マスターって……もしかして、貴方が初代公爵?」

「ああ、そうだ。お前は俺の子孫だな」

「そう、だけど。数百年前に死んだ貴方がいるってことは……もしかして、私、死んじゃったの!? ここは天国!?」

「まぁ落ち着け。半分間違いで、半分正解だ」

「どういうことなの?」

 青年は意地悪そうに笑う。

「お前は死んでいない。でも、ここは天国だ」

「はぁ!?」

「ここは、俺が作った世界なんだ。生きている世界に飽きてしまってな。黒いモヤをまとわずに死んだ魂だけが来れる楽園をつくった。ようするに天国みたいな場所だ」

「そんなことができるの?」

「できるぞ。黒魔術は万能だからな。限りなく神に近い力だ。だから、黒魔術師本人の魂を代償に捧げるとなんでもできてしまうんだ。新しい世界をつくったり、時間を巻き戻したりな」

 森の奥から金髪の美しい女性が現れた。マスターに微笑みかけると腕を絡めてそっと寄り添い口を開く。

「この方があなたの後継者?」

「ああそうだ。俺にそっくりだろう?」

 マスターの言葉を受けて清楚な美女は「そうね。貴方とそっくりな綺麗な黒髪と綺麗な瞳ね」と微笑んだ。二人の間には気心の知れた穏やかな空気が流れている。

「えっと、こちらの美女は、マスターの奥さん?」

「そうだ」

「……もしかして、奥さんが亡くなったからあとを追ったとかじゃないわよね? 亡くなった奥さんと一緒にいたくて新しい世界をつくったとか?」

 マスターは何も言わず視線をそらした。その隣で奥さんがクスクスと笑っている。

 マスターはしばらくすると「いや、あれだ、現実世界は悪い奴が多いからな。心の綺麗さで住み分けたほうが平和だろう?」と取ってつけたような言い訳をした。

「ま、まぁどういう理由でも構わないけど、どうして私をここに呼んだの?」

「さっきも言ったが後継者がほしい。この世界は発展しすぎてな。俺一人で維持するのが難しくなってきた。お前は俺の子孫だから、俺の子どものようなものだ。後継者に相応しい」

 その言葉を聞いた奥さんは「あら、じゃあ貴女はこれから私の娘になるのね」と嬉しそうにしている。

「俺はいつかこうなることがわかっていた。だから、選ばれた黒魔術師だけがこの世界に来れるような仕掛けを残しておいたんだ。まぁ心が綺麗なら仕掛けなしでも死んだらここに来れるがな」

 一方的な言い分にアルデラはあきれた。

「事情はわかったけど、どうして私が貴方の言う通りにしないといけないのよ……」

「まぁそう言うな。ここでは俺が神だからな。お前の願いを叶えてやるぞ」

「……なんでも?」

「ああ」

 アルデラは黙り込んだ。

(ノア殺しの犯人がわかった今、もうノアが殺されることはないわ。伯爵家の借金もなくなったし……)

 伯爵家に関わっている人は、これから幸せに生きるだろう。

(あとは……)

 アルデラは、テレビしか置かれていない和室に一人で過ごす黒髪の少女のことを考えた。彼女が命をかけて守った伯爵家に、彼女が帰ってこそ最高のハッピーエンドだと思う。

 なんでも叶えてくれると言うマスターにアルデラは質問した。

「じゃあ、貴方なら消えたアルデラの魂を復活させられるの?」

「そんなことでいいのか?」

 マスターがパンと手を叩くと、その場にアルデラがもう一人現れた。急に現れた本物のアルデラはこちらに気がつくと「お姉さん!」と言いながらしがみついてくる。そして、そっとマスターを見る。

 本物のアルデラに「今の状況はわかっている?」と尋ねると「うん、テレビで観てた」と頷いた。

「なら話は早いわね」

 本物のアルデラは不安そうな顔をしている。

「アルデラ、私と貴女の望みが叶うわ」

 本物のアルデラの魂が復活した今、前世の記憶を持つアルデラは元の世界に戻るわけにはいかない。現世のアルデラの身体は一つしかない。ここから帰れる魂も一つだけだ。

 不安そうな顔をしている彼女の両手をそっと握った。

「今度こそ、幸せになってね」

「お姉さん……本当にいいの?」

 そう聞かれると、この世界で出会った色んな人の顔が過ぎった。ノアやクリスのことを思うと胸が痛む。その痛みを押さえつけるようにアルデラは微笑んだ。

「……いいの」
「でも、今まで頑張ってきたのはお姉さんなのに……私が家族になっちゃって本当にいいの?」

「いいのよ。貴女が幸せになってくれるのが私の望みだから」

「お姉さん……ありがとう」

 本物のアルデラは黒い瞳にいっぱい涙を浮かべながら微笑んだ。そして、嬉しそうに駆けだした。

(これで私の役目も終わったのね……)

 これからはのんびりとこの世界で生きていくことになる。

(もう、ノアにもクリスにも会えない。でも二人は心が綺麗だから、いつかきっとまた会えるよね……)

 願いが叶って嬉しいはずなのに涙がこぼれた。ぎゅっと目を瞑る。

(さようなら、皆……)

 涙でにじんだ景色の中で、本物のアルデラはマスターとマスターの奥さんの前に立っていた。

「?」

 不思議に思った瞬間、本物のアルデラはうつむいた。

「私、ずっと私のことを必要としてくれるお父さんとお母さんがほしかったの。……あの、貴方達は本当に私のお父さんとお母さんになってくれますか?」

 マスターが「もちろんだ」と答えると、奥さんは両手を広げて優しく本物のアルデラを抱きしめた。

「私達の間には息子しかいなかったから、ずっと娘に憧れていたの。私の夢まで叶っちゃったわ」

 嬉しそうに微笑む奥さんの言葉を聞いて、本物のアルデラの瞳から涙があふれた。

 マスターが「今日から俺のことは父様って呼ぶんだぞ」と言うと、「はい、父様」と本物のアルデラは頷いた。

「私のことは母様って呼んでね」
「はい、母様」

 本物のアルデラが振り返った。

「ありがとう、お姉さん! 私の願いが叶ったよ! お姉さんのおかげだよ!」

 頬を涙で濡らしながら、本物のアルデラはとても幸せそうに微笑んだ。

「え!? ちょっと待って、私が思っていたのと違っ……」

「お姉さんも絶対に幸せになってね!」

 その言葉を最後に強い力で押し出されるように、アルデラはマスターが作った世界からはじき出された。