アルデラは、セナとノアとのんびりとお茶を楽しんだ。心配していたようなことは起こらず、サラサはしばらくすると帰ったらしい。

(とにかく、あの女は要注意人物だわ)

 警戒を続けていたものの、その後の伯爵家は平和そのものだった。実家の公爵家から大金が振り込まれたおかげで、食事にも困らなくなったし、公爵家からメイドが五人も来てくれた。

 アルデラが「あれ? 貴女達三人は勧誘したけど、後の二人は?」と尋ねると、メイド達は顔を見合わせた。

「私達は、五人とも公爵夫人の専属メイドだったのです」

「お仕えする方が、いなくなりましたので……」

(なるほど、公爵夫人がいなくなったのは私のせいね)

「わかったわ。五人とも私が雇います。ただし、この家は人が足りないの。私のお世話係はもういるから、貴女達には下級メイドのような掃除や洗濯をしてもらうことになるかもしれないわ。それでもいいかしら?」

 公爵家に勤めるメイドなら、良家のお嬢様の可能性もあった。夫人付きなら、メイドというより、身分の高い人のお世話係のような役割だったかもしれない。

 メイドの一人が「大丈夫です。私達、元は皆、身寄りがなかったり、家が貧しかったりする者ばかりなんです」と答えた。

「奥様は、慈悲の心で、私達に働く機会をくださったと思っていましたが、今思えば、好きなだけきつく当たれるし、いなくなっても問題にならない身分の低い娘を集めていたんですね」

 メイドの瞳に涙が滲む。アルデラは「今まで大変だったわね」とメイドの肩に優しく手をそえた。

「安心して、伯爵家は驚くほどホワイトよ」

「ホワイト?」

「すごく働きやすくて良い職場ってこと」

 アルデラがニッコリと微笑みかけると、メイド達は嬉しそうに顔を見合わせた。新しく入ったメイド達は、皆、良い子で伯爵家にすぐ馴染めたようだ。

(うんうん、伯爵家の借金問題も解決したし、人手不足も少しはマシになったわね)

 全ては順調のように思える。

(でも、ノアを殺して私を嵌めた犯人は、まだわからないわ)

 今のところ怪しいのは、白魔術師のサラサだ。サラサについて少しでも情報を集めようとしたけど、伯爵家の書庫はほとんど空だった。

(借金返済のために、書庫の本を売ったのね。クリスの書斎にはまだ本が残っていたはず。お願いして見せてもらうか、図書館にでも行こうかしら?)

 過去のアルデラは、何度かノアと王立図書館に行ったことがある。王立図書館は広く市民に開かれていて誰でも利用することができた。図書館の前に広がる芝生は憩いの場で、ピクニックをしている家族や恋人の姿も多くみられる。

(あそこは、お金を使わずに一日中遊べるのよね)

 そういう理由もあって、お弁当を持ってノアと遊びに行っていた。

(どちらにしろ、クリスに許可をもらわないと)

 あまり仕事の邪魔をしたくないので、『どうしようか』と、クリスの書斎部屋の近くをウロウロしているとブラッドに見つかってしまった。

「クリスに用ですか?」

 有能なブラッドは用件を言わなくても目的がわかったようだ。

「どうしてわかるの? ブラッドに用があるかもしれないじゃない?」

 不思議に思って聞くと、ブラッドに「目覚められてからのアルデラ様が遠慮するのは、クリスとノア坊ちゃんにだけなので」と言われてしまう。

(たしかに……)

 大切な家族のクリスとノアだけには嫌われたくないと思っている。黒魔術のことも二人にだけ知られたくない。

 そんな気持ちは、ブラッドにはバレバレのようだ。ブラッドは書斎の扉を開けると「どうぞ」とアルデラを中に招いた。

「失礼します」

 アルデラが頭を下げると、「いらっしゃい」とクリスの優しい声がする。ブラッドは忙しいのか部屋から出て行ってしまった。

(クリスと二人きりって、少し気まずいのよね)

 過去のアルデラもノアとは仲良くしていたけど、クリスにはどう接していいのかわからなかった。ずっと『伯爵様』と呼んでいたし、話すことすら恥ずかしがっていた。

(クリスって顔がものすごく整っているし、大人って感じだし、雰囲気が神々しいのよね。なんかこう、拝みたくなるというか……)

 実際の所、クリスの周りでは、白魔術師のサラサほどでないにしろ、空気がキラキラと輝いている。

 優しく「私に何か用かな?」と尋ねられると、アルデラは急にひざまずいて自分の罪を懺悔したくなった。

(いやいや、クリスは神父さんじゃないから!)

 心の中で慌てて否定する。

「本が読みたいんです」

 そう伝えるとクリスは「書庫は空っぽだっただろう?」と言いながら立ち上がった。

「どんな本を探しているの?」

 本棚の前に立つクリスに、アルデラは「白魔術に関する本はありますか?」と聞いた。クリスは本棚から二冊本を引き抜き「ここらへんかな?」と言いながらアルデラに手渡す。

「ありがとうございます」

 お礼を言うと「どういたしまして」と輝く笑顔が返ってくる。そのあまりの眩しさにアルデラは咄嗟に両手を合わせて拝んでしまい、受け取った本がバサリと床に落ちた。

「あ、すみません!」

 慌ててしゃがみ拾おうとすると、本の上でクリスと手が重なった。クリスの大きい手のひらと長い指がアルデラの手を包み込んでいる。

 そのとたんに、アルデラはボッと音がなりそうなくらい顔が赤くなった。

(ちょっ、手がふれただけで赤くなるって、前世の私の恋愛偏差値、低すぎない!?)

 過去のアルデラの恋愛偏差値が低いのはわかる。育った環境もひどかったし、十六歳とまだ若い。でもまさか、前世の自分の恋愛偏差値も低いとは思っていなかった。

(前世の記憶があいまいだから、自分が何歳かすらわからないわ!)

 ただ、十六歳のアルデラを若いと思うのだから、それよりは年上のようだ。

 固まってしまったアルデラを心配したのか、クリスがそっと腕を伸ばした。

「大丈夫?」

 クリスの指がアルデラの頬に触れる前に、アルデラは後ろに大きく飛びのいた。驚くクリスに「し、失礼しました!」と勢いよく頭を下げた。

 クリスは落ちた本を拾って「はい、どうぞ」と笑顔で渡してくれる。その本を無言で受け取り、アルデラはもう一度頭を下げた。

「あ、ありがとうございました!」

 お礼を叫んでそのまま書斎から飛び出すと、戻って来たブラッドとすれ違う。

「アルデラ様?」

 ブラッドに赤い顔を見られたくなくて本で顔を隠して走り去った。背後から「どうしたんですかー!?」と叫ぶ声が聞こえたが、追っては来ていないようだ。

(あああああ、こんなことで赤くなるなんて、すごく恥ずかしいわ!)

 少しパニックになっていたアルデラには、書斎に入ったブラッドの「クリス? 何だ、その顔は? 何か良いことでもあったのか?」という不思議そうな声は聞こえなかった。