楓は、私はまだ樹とセックスしていないんだよ、とはさすがに言えなかった。
一応、彼女である楓とはまだなのに、他の女性とは――美幸とはしているかもしれないと想像すると、楓は深い穴を掘って冬眠したい気分になった。

喉が渇いても楓という水は欲しないのか。
そういうことなのか。
自分は欲されない女なのか。
彼女なのに。
一応は――。

今日は特別な日で、朝から浮き立っていた楓の気持ちはがくんと急降下していく。
どうして美幸さんのことなんて聞いてしまったのだろうと楓は後悔した。
そんな気配を察した健夫が「ところで楓ちゃん、今日誕生日でしょ」と明るい声で聞いてくる。

「何で知ってるの?」

この大学で楓の誕生日を知っているのは樹だけのはずだ。
わざわざ樹が健夫に伝える理由はない。
だとすると樹から美幸に伝わったのか。
楓は無意識に眉間を寄せた。

「実は美幸さんも今日が誕生日なんだよ」
「え!」

本当はげっ! と声をあげそうになったのをなんとか“え”に留めた。

「でさ、僕この日のために親父のコネまで使ってシェリルって店を予約したわけよ。シェリルって知ってる?」

その店はグルメに強いこだわりのない楓でも知っているセレブがこぞって訪れる超人気のフレンチレストランだ。
予約は2年先まで埋まっているとテレビで紹介していた。

「すごい! さすがお坊ちゃま」
「なのに美幸さんたら、じゃあ樹君たちも誘いましょうよ、とか言うわけよ」
「げっ!」

今度は抑えきれなかった。でも健夫は気に留めずに話を進める。

「けどシェリルってコース料理が安いやつでも5万はするわけ。ドリンクいれたら1人10万? そんな店、気軽に誘えないでしょ? 美幸さんはまた僕が出せばいいと思っているんだろうけど、さすがにさあ。そしたら美幸さんが自分と樹君の分は私が払うから、健夫君は楓ちゃんの分を払ってよっていうわけ。それ、おかしくない? 僕が楓ちゃんの分を出して、美幸さんが樹君の分を出すって」