「おはようございます。」

「あぁ!パート君!これ上から早く片付けるよう言われてるからすぐにお願いね!」

書類をポンと乱雑に机の上に投げられる。


「·····は、はい。
········因みにパート君じゃなくて優木 光(ゆうき ひかり)です。」

返事の後の自己紹介は相手に聞こえない程の小さな声でポツリと呟く。

身長155cmと小柄で色白の優木 光18歳は、母親譲りのクリクリっとした可愛らしい瞳が印象的な女の子だ。
サラサラとした栗色の髪はセミロングで、編み込んだり後ろ手に小さくおだんごヘアにしたりとアレンジするのが好きだ。


そんな彼女は好きでパートの契約をしている訳では無い。
親の離婚がきっかけで大学を1年足らずで中退。
気の毒だと心配してくれた、ここで働く親戚が入職試験さえクリアできたら、面接では雇って貰えるよう話が通せると紹介してくれたのだ。
幸い進学校にいた光。
このチャンスをものにするため、必死で勉強をした。
そして その努力と幸運が相まって、この国立研究所の事務員として18歳で正社員として就職する事が奇跡的に出来た。
が、入社当日に担当者や責任者などの重役的立場の人々から呼び出されとんでもない事を告げられたのだ。

「本当に申し訳ない。
実は手違いで人数を多くとってしまったんだ。
ここは国立の企業だから余分に人をとる事が出来なくてね。
したがって、優木さんには選択して頂きたいです。
パートで勤務するか、入社を辞退するか。」


一瞬にして頭が真っ白になる。
いや、むしろ何を言われてるのかがピンと来ない。
親戚に相談するか?!
いや、その親戚は光が入社する代で定年退職したから既にいない。

「え!?わ、私以外には選択する方はいないんですか?それって····ちょっと····。」

「本当に申し訳ないとしか言いようがない。全面的にこちらに非があるのは認めるよ。
ただ優木さんは、言い方は悪いけど·····コネ的な所での内定だったからどうしても選ばざるおえないのも事実なんだ。
ただ、もし辞退するとなれば100万を慰謝料としてお支払いします。
もしくは、パートとして勤務して頂くのは可能なので···どちらかを選んで頂ければ。
そしてこのことは口外厳禁でお願い致しますっ!」


(辞めれば100万を渡すんだから、企業のミスには目をつぶれってこと?!!)

まともな社会人として働きたい!
そのスタートラインを切れたと思った矢先に起こった出来事にただただ動揺するしか無かった。

「本当に優木さんには苦しく辛い選択を迫っているのは重々承知の上です。」

黙ったまま立ち尽くす光の様子を見て、企業側も申し訳なさそうな表情で話を進める。

「どうかな?優木さん。」

「と、突然の事でどうしていいか迷ってますけど。
でも···せっかく親戚のご紹介も頂けたので。
····とりあえずパートでお願いします。」

「そうかそうか!それが賢明な選択だね!
いやいやホント、迷惑かけてしまってすまないね。」

重役たちも先程の態度とは打って変わって大きな声で笑いだし、じゃそういう事で!と部屋を出て行ったのだ。



これがパートで勤務している理由だ。
今日でようやく1年経つ。年齢も1つ重ねて19歳になったところだ。
雑用だけやっている感じなのは否めないが、日々何とかこなしている。

入口の1番近くにある机が光のデスクだ。
乱雑に積まれた書類は、個人情報を含む書類のため段ボールに入れて、専用廃棄場所に持っていかなければならない。

それが地味に遠い場所にあるのだ。
中庭を抜け、奥にある研究棟の裏側にある古びた倉庫。そこへ置いてくる必要がある。


(まともな仕事なんてまわって来たことないし、こんなことばっか。
1年経つのに、みんなパート君やらパートさんとしか呼ばないし。辞めさせたいんだろうなぁ···。)

小さくため息をつきつつ、書類を段ボールへしまいこんでいく。
途中他の社員からもこれもよろしく!と積まれていく。

(みんな有名大学出てるから全員年上だし。まともな友達も出来ないまんまだ。
はぁぁ。きっとバカにしてんだろうなぁ。)


ブツブツ頭の中でマイナス発言が増えていく。
そんな自分も嫌だったが、どうしようもなく溜まっていくストレスに抗えずにいた。

「すみません。個人情報捨てて来ます。」

段ボール4箱分になったそれを台車に乗せて、返事のないオフィスを出る。

(私がいてもいなくても誰も気にしてないんだろうなぁ。)

ガラガラと大きな音を立てながら、エレベーターホールへと向かう。

「あれ?光ちゃん?!久しぶり!」

スラリとした高身長に、ゆるくパーマのかかった髪をもつオシャレな人。
彼は光と同期で、加藤 蒼真(かとう そうま)24歳。
別部署の事務で女子の間でかなりの人気者だ。

光も満更ではなく、こんな自分にも分け隔てなく話し掛けてくれる彼の存在は、否応なしに意識する存在になりつつあった。

「お疲れ様です。」
艶やかなセミロングの栗色の髪を耳にかけながら、モジモジと小さな声で話す。

「今から廃棄場所に行くのかな?
沢山あるみたいだけど1人で大丈夫?!」

「は、はい。大丈夫です。」

緊張から上手く話すことが出来ず、会話が続かない。

「今僕時間空いてるから良かったら手伝おうか?」

「そんな!!とんでもないですっ!
加藤さんの手を煩わせる程のことじゃないので、大丈夫です!」

急な提案に驚き、両手でブンブンと思いっきり振ってみせる。

(やだっ!私ほっぺが確実に真っ赤よね?!)



「優木さん!口を動かすんじゃなくて、ちゃんと手と体を動かして下さいね。
いつも私語が多いって部長も困ってたわよ。」

突然後ろから大きな声で久々に呼ばれる自身の名前と、叱責に驚き振り向けば同じ部署の高木先輩が腕を組みながらコチラを険しい顔で見ている。

「す、すみません。」

「ったく。パートでもやることはちゃんとしてくれないと困るわよ。優木さんの態度にみんな困ってるんだから。」

「っ?!·····申し訳ありません。以後気をつけます。」

全くもって心当たりのない叱責に動揺する。
光の部署に、光のことを名前で呼んでくれる人すら居ない状況で、一体誰と私語をすることができるのだろうか。

(いきなりなんなのよっ!!!
私がいつ誰と私語したって言うのよっ!
今のだってたまたま話した程度でここまで言うか普通?!!)


「あ、すみません!
僕が話しかけたんです。優木さんは何も、」

「加藤君は気にしなくていいから!
ほらっ!下に行くエレベーター来たから早く片付けしなきゃ!!」

蒼真が何とか光をフォローしようとするも、高木の圧には歯が立たない。
そのまま1人エレベーターに乗り込むことになった。


「本当にムカつく。
1年経つのにこんな扱いだし。正直辞めたい。」

先程の先輩の表情が頭の中を支配する。
台車を握る手に思わず力が籠る。
悔しさのあまり、溜まっている日頃のストレスが爆発しそうで涙が滲む。

(こんな所で泣いたら負けだっ!!
絶対にいい所見つけて辞めてやるんだから!)