「カーット!細かい説明は不要!」

コン・ブリオのキッチン内に立ち込める香ばしい焼き音とともに綾乃の甲高い声が響いた。

「いいじゃないか、自分の番組なんだし」

季節が一回りして、また新しい春。いくらかふっくらした頬をふくらませて、ぷりぷりとした表情をみせる綾乃に、哲也はいつも通りの平然とした様子で言った。
後ろの方で笹井マネージャーとホールスタッフの内田圭太が困ったような顔つきで、こらえぎみに笑っていた。

「カルボ煮る?とかなんだかよくわからない化学反応の説明はいらないわ。多くの人は理解できないもの。それよりも、どうしたらおいしくなるのか、失敗してしまうのかが必要なのよ!」
「だからそれがアミノカルボニル反応なんだって。これがおいしさのポイントなんだ!」

そうやって言い争う哲也と綾乃の二人を見守る周囲の視線は温かい。

その理由のひとつは、二人の薬指に揃いの指輪があること。料理や作業の邪魔にならないような、シンプルな銀色だけのものだがその輝きは特別なものだと感じられる。

それから、哲也が‘自分の番組’と言ったことからもわかるように、これは哲也が主役の番組なのだ。
テレビ局を‘コトブキタイシャ’したはずの綾乃が、なぜ取り仕切っているのか、そして哲也が自分の番組を持っているのかは、インターネットを見ればすぐにわかった。

動画配信サイトを開くと、コン・ブリオのチャンネルがあった。
金曜の正午、そのチャンネルは更新される。

クリックすると、音楽と同時にBuon'appetito!(召し上がれ!)と動画タイトルが出てきて、それからコン・ブリオの外観、内観、スタッフたちの笑顔、カルパッチョやアクアパッツァなどの料理にイタリアのワイン、そしてとっておきのティラミスも、インパクトのある美しい映像となって画面に映し出される。
そして厨房に立つ哲也が笑顔で今日のオススメの一品を手に持って見せた。

「コン・ブリオの人気メニューを家庭で作りやすいようにアレンジしたものをご紹介します」

そう言って、主役の哲也と、必要に応じてスタッフたちにアシスタントに入ってもらいながら10分程で作り方を紹介する。
動画には時折登場する笹井マネージャーのおすすめワインだとか(笹井マネージャーはソムリエも持っている)、内田圭太の試食コメント(不思議な表現がウケている)もあり、最近話題となっている動画だ。

「石崎シェフの動画、すごいわかりやすい」「短時間でポイントを押さえて紹介してくれるから一般人でも作れる」「遠方のためコン・ブリオには行けないけど、シェフの味が家庭で簡単に楽しめて嬉しい」など、SNSでも好評だ。

その人気の甲斐あって、コン・ブリオのパスタソースやらワインセットやらも発売され、通販事業で売り上げもいいペースで増えている。この調子なら、今年はスタッフ全員でイタリア研修に行ったり、新商品を開発したり、また新しい取り組みもできそうだ。

そしてこの動画の企画から編集を行っているのが、他でもない彼の妻となった綾乃だった。