「アヤノ」

ロケセット正面で疲れ切っていた綾乃に誰よりも先に駆け寄ってきたのはフラヴィオだった。
いろいろ言いたいことはあれども、とにかく終わったのだ。
スタジオを出て少し静かなエリアで綾乃は言った。

「…お疲れ様でした。予想外の展開は正直言って、本気で止めてほしかったけど、ケガとかなく時間内に無事に終わってよかったです。」

するとフラヴィオは悔しそうに、不思議そうに言った。

「どうして日本人はどっちもオイシイと言う?」

どっちもおいしい。
それは綾乃も先日そう言った言葉だった。その言葉ははっきりと自己主張しない国民性の表れのようでもあるが、おそらく、試食したゲストたちは本当にどちらのペペロンチーノもおいしかったのだろう。
でもそれはフラヴィオには納得がいかないことのようだった。

「テツヤと違う工夫をしているのに。アレッサンドロ師匠はテツヤをオイシイと言った。ショックで、僕は勉強した。世界の料理、日本の食べ物も学び、日本語まで覚えた。」

聞けば、アレッサンドロ師匠に正式に師事したのは大学卒業後らしいが、子どもの頃から憧れていた人で、学生時代からアルバイトもしながら、ずっと弟子入りを志願していたほどだったと言う。
そんな憧れの師匠のもとで何年も学んできたのに、いきなり現れた男、しかもイタリア人ではない男にのれん分けなんてされようものなら、それは確かに相当悔しいだろう。
しかしながら、その悔しさをバネに世界に進出したフラヴィオもまたすごい人のはずなのに。

「たまたまだよ。それとあとは好み。」

横から哲也が会話に入ってきて言い放った。

「おいしさはそのときの体調や気分だって影響する。目新しい味がおいしいときも、懐かしい味がおいしいときもある。アレッサンドロ師匠だって、あのときは俺の料理に感激したかもしれないけど、今は違うかもしれない。そういう意味で‘どちらもおいしい’は成立するんだよ。」

哲也の話は、料理に詳しくない綾乃でも納得できることだった。
それをフラヴィオは納得しているような、していないような、複雑そうな笑顔をみせた。慰められているような気がしているのだろう。そんな彼の気持ちも、綾乃はわかる気がしていた。

「結局、‘フラヴィオ・マンチーニの味’を極めないとアレッサンドロ師匠はいつまでも認めてくれないと思うけどな」

哲也がそう言うと、フラヴィオはSiと肯定の返事をして頷いた。その笑顔は、カメラに向かっていた明るい表情よりもずっと魅力的に見えた。

「フラヴィオ!」

そのとき廊下の向こうから声を上げたのはチーフプロデューサーだ。
笑顔のようだけど、怒っているようでもある。事故などなく終わったからいいものの、予定外のことを勝手にするのは大問題だ。
なんとなくその様子を感じ取ったフラヴィオは怒られてくる、とでも言うように少年のような笑顔を見せて行った。

二人きりになると哲也が笑って綾乃に言った。

「悪かった。売られたケンカは買うタチでね」

意外な彼の一面に驚きながらも、とりあえず無事に収録が終わったことで綾乃は脱力する。

「収録中、イタリア語で何を話していたの?」

綾乃が聞くと、哲也は少し視線をそらして笑った。

「うーん、師匠の恩を忘れて日本で勝手にやりやがって、とか。師匠は今でも哲也がイタリアに帰ってくること待っているとか、そんな感じかな」

聞きながら、フラヴィオがアレッサンドロ師匠をどれだけ慕い、尊敬しているかが伺えた。その‘熱さ’は、やはりどこか哲也と似ているように思えて綾乃は少しだけ笑う。

それと同時にチーフプロデューサーが「石崎シェフ!」と哲也を呼ぶ。
哲也は眉をひそめて軽く笑った。

「俺も叱られてくるか」

そういって笑う哲也を送り出すと、綾乃のもとにたっぷり叱られたであろうフラヴィオが戻って来た。