いつのまにか料理対決番組になろうとしているスタジオのカメラの横で綾乃は倒れそうになるのを必死で持ちこたえる。

「勝手なことしないで…!」

音声に入らない程度のごく小さな声で綾乃は叫ぶ。手を振って視線を向けてもらおうと必死のアピール。それと同時に画用紙に「やめて」「予定通りに!」などの指示を書いては見せるものの、二人は見ない振りをしているように見える。
徹夜明けの頭にめまいが襲い掛かる。

・・・もうCMまで止められない。

「じゃあそのパスタを半分もらおうか」

哲也はそう言ってフライパンににんにくとオリーブオイルを入れて火をつける。火蓋は切って落とされた。
綾乃はついに倒れそうになる。すかさずADの智香が支えてくれて、大丈夫ですかと声をかけてくれる。

予感はあった。
フラヴィオが何かやってくれそうな予感だ。でも哲也はこんな状況を予期していただろうか。慣れた手つきでフライパンをゆする、その顔つきは余裕たっぷり。それらを見ていると、いかなる事態も想像できた、と言っているように見える。
しかし予定外の流れが上司やテレビ局側から許されるのか。また視聴者はどう受け止めるのか。
綾乃の頭も胸も少しも落ち着かない。

「さ、さあ!一流のイケメンシェフ二人によるペペロンチーノ対決が始まりました。イタリアではレストランで出されるようなものではないと言われますが、だからこそシェフの作るペペロンチーノは興味深いところです。」

アナウンサーの女性も予想していなかった展開にうまく対応している。が、アナウンサーだけでなくカメラや音声などのスタッフたちも予想外の動きに明らかに動揺している。

「予定通り、料理しているところを撮って!」

小声で周囲に綾乃が指示を出す。CMまであと8分程。パスタは少しずつ出来上がっていく。
が、二人はイタリア語で何かを激しく言い争いながら手を動かしている。日本人には意味のわからない会話であるが、言葉のニュアンスや表情的にいいものではなさそうだった。

「シェフたちの音声は拾わないで!」

小声でスタッフに指示を出すと、プロフェッショナルな彼らはすかさずゲストたちにカメラを移し、音声を切り替える。アナウンサーの女性もうまく話題を振って、どうにかこの場をしのげそうなことに綾乃はほっと胸をなでおろす。その一方でイケメンシェフと世間から人気の二人が騒がしくパスタを仕上げていく。
どうしてこんなことになったのだろう。いや、予感はあった。フラヴィオは、最初から哲也を打ち負かしたくて通訳を依頼したのだろう。哲也もまた、こういう事態を予想していなかったわけではなさそうだった。

「それでは、パスタのご試食をゲストのみなさんにお願いしましょうか」

そのおいしそうなパスタを前に、ゲストは歓声をあげているものの、やはり困惑している感じもあった。何しろ、味見をしてコメントするだけのはずが、比較する必要まで出てしまったのだから。

「どっちもおいしい!…ではだめなんですかね。ほんと、すごくどっちもおいしいんですけど」
「わかる!ペペロンチーノってこんなおいしかったんだってくらい。オリーブオイル、にんにくがそれぞれがうまく主張しあっているというか」
「フラヴィオ・マンチーニシェフのオイルの使う量はちょっとびっくりしたけど、思いのほかすんなり胃に入っちゃいましたね。石崎シェフの上品なにんにくオイルの味もおいしかったわ~」

盛り上がるゲストたちにアナウンサーはさりげなく話題を振る。

「対決、ということだったんですが、いかがでしょう。」

その言葉に、ゲストたちは言う。

「決められないですね」
「どっちもおいしい、じゃだめなんですかねえ」
「わかります、どちらがおいしいとか決められないんですよね」

彼らの反応を見つつ、綾乃はすかさず画用紙に大きく文字を書く。

「うまくまとめて!!」

その文字を見たアナウンサーはすかさず笑顔で言う。

「どちらも比べられないほどおいしい!ということで勝敗は引き分けでよろしいでしょうか!本日フラヴィオ・マンチーニシェフと石崎哲也シェフが今日作ってくださったレシピは番組ホームページで公開予定です!おうちでできるプロのレシピ、ぜひチェックしてくださいねー!」
「はいカットー!」

スタジオディレクターの声が響いてようやくCMに切り替わった。
スタッフたちがやっと大きく呼吸できた瞬間でもあった。
綾乃もまた、ようやく緊張から解放される。とはいっても、これで終わりではない。

そして誰よりも納得いかなそうにしているのはフラヴィオだった。