「あ、石崎シェフ」

コーヒーを持ってきてくれたADの智香が綾乃のデスクを見るなり言った。そこにいたのは紙面の哲也。
次の番組の企画書を仕上げなければならないと思いながら、つい雑誌を広げていたのだった。

「雑誌の連載もしているんですね。」
「もうなんでもありよね。そのうち写真集とかDVDも出るんじゃないかしら」
「どうしたんですか、綾乃さん」

いつになく投げやりな言葉に智香が不思議そうな顔をする。智香は二人が付き合っていることを知らない。
が、何度も番組でコンビを組んでいることもあって、その仕事の相性の良さはよく理解している。

石崎哲也というシェフの仕事は料理をすることであるが、そのルックス、人柄、雰囲気を知れば、ぜひとメディアなどでも欲しがられる。綾乃は自分以外の人間とも哲也はたくさん仕事をしていることをわかっていた。

それでも、今回はなんだか気になってしまったのだ。あの女性が、自分と同年代で、仕事に情熱を持っている感じが自分と似ていて、それでいて自分よりずっときれいで、時間より早く来てお店で待っちゃうあたり、女として上手というか。

「シェフの秘密のレシピ、かあ。」

智香は雑誌を手に取って、まじまじとそのページを見ていた。

「このパスタ、シェフがイタリアで修行してた頃のレシピですって。」

雑誌には、たっぷりのハーブ数種類に新鮮な刺身を使ったスパゲティがまぶしく光っていた。智香と並んでコーヒーを啜りながら記事を眺める。

─フレッシュなハーブとオリーブオイルにお刺身が抜群ですね。こんなの振舞ってもらったご友人が羨ましいです。

石崎「いや、それが最初は驚かれて。生魚とパスタ?みたいな感じだったんですよ。口に入れたらやっと納得してもらえたっていう、思い出のレシピです(笑)」


会話形式の記事ということは、聞き手は先日の彼女だろうか。
カメラマン、スタイリストの名前とともに並んでいた一人の女性の名前。

─編集/園部 真理子

‘友人が羨ましい’と言う言葉にも、なぜだか深い意味がありそうで、綾乃はまた表情を険しくする。

「ソノベマリコ…さん。」
「え?」
「いや、なんでもないわ」

やはりその名前を忘れることはできなそうな綾乃だった。