顔を上げるとそこにいたのはここにいるはずのない棗。
酷いこと言って、振り回して、距離置こうだなんて言って、それでも棗はこんな所まで来てくれたんだ。
「ちなみにこの傷、俺じゃなくて舞川だから安心して」
「…余計なこと言わなくていい」
「1人でカッコつけさせねえよクソ野郎」
「……悪かった」
「……うっせ、ばーか」
恭ちゃんが部屋から出ていって、手の甲で口の端の血を拭った棗とバチりと目が合う。
痛々しいほどに赤い頬は、聞かなくても何があったかなんとなく分かってしまうほどだった。
「俺が悪いから、この程度気にすんな」
ぎこちなく私の頬を包み込む棗の手。
久しぶりの感触に再び胸が張り裂けそうになる。
「倒れるまで悩ませてごめん。夏川とはちゃんと話しつけた。咲鈴に距離置こうって言われて、引き止めなかったこと後悔して死にそうだった」
「…、棗っ」
心のどこかで、棗に抱きしめられることはもう一生ないんじゃないかと思っていた。
またここに戻ってこれる日が来るなんて、また棗とこうできる日が来るなんて。
自分で距離を置くって決めたくせに、どこまでも自分勝手だと思う。
そんな私を見捨てないでくれた棗にはなんと言えばいいのか分からない。



