真珠や大和とは別れ、豪が樹李亜を促した。

「ドアにIDをかざして」

 言われた通りに樹李亜がすると、カチッという音がして鍵が開いた。

 部屋の中に向かって豪が大声で言う。
美加野原(みかのはら)さん、ルームメイトの栄田(えいだ)さんが来ましたよー」


 樹李亜は部屋の中をのぞき込む。入ってすぐのところに下駄箱とクローゼット、冷蔵庫と流し台。トイレ、洗面所、バスルーム。
 中央部分にソファとローテーブル。その向こうにバルコニーから光が差す。

 部屋の両側に分かれて個人のスペース。それぞれのベッドと収納棚、勉強机。仕切りのカーテンを閉めればプライバシーが保たれる。

 勉強机に向かっていたルームメイトが立ち上がる。彼女は女子にしては背が高く、樹李亜は少し驚く。
(この人、でかい……)

 どちらともなく、ぎこちなく会釈をする。
「今日から、どうぞよろしくお願いします」


 樹李亜が振り返ると、豪は部屋の出口付近に立ったまま。決して中に入ろうとしない。

 入口の前に積まれた荷物を指して豪が言った。
「荷物を運ぶ、手伝いがいる?」
「いや、一人で大丈夫……」
「じゃあ、俺はこれで」
「待って」

 去ろうとする豪に樹李亜が食い下がった。
「ランドリールームはないの?」
「ランドリー?」
「洗濯機とか、乾燥機とか、そういうもの……」
「ああ、それなら……」

 豪は冷めた視線を樹李亜に投げかける。

「洗濯が必要なら、専用の袋に入れて依頼すればいい。毎日回収されて、翌日には届くと説明があったはずだ」
「それじゃあ、間に合わないの」
「はあ?」
「そんなに着替えを持ってるわけじゃないから、すぐに洗濯して、即、必要な場合だってあるんです。あなた方には分からないかもしれないけど……」
「分からないな……」

 樹李亜は、最後の方は嫌みのつもりで言った。しかし豪にはそれが通じず、本気で困惑しているようだった。

 樹李亜はため息をついた。
「もし洗濯機が使えないのなら、風呂場で足踏み洗濯をして、室内に広げて干してやる。大漁旗のようにパンツや靴下がはためく下で、あなたらな勉強に集中できますか?」

 室内に洗濯物がはためくのは、これは実際に、昨日までの学生寮でよくやっていたこと。が、高級感あふれる『アルファタワー』では全くそぐわない。ほとんど迷惑行為のようなものだ。
 それが分かってか、豪はぎょっとしたように樹李亜を見た。

「それはちょっと勘弁……ルームメイトにも配慮を」
「じゃあ、なるべく早く洗濯機を買ってください」
「……かけあってみる」
「掃除機の貸し出しもお願いします」
「何で?!」

 これも専門の業者による清掃があり、生徒たちは掃除をする必要がないと聞かされたばかりだった。

 樹李亜は当然のように要求する。
「ちょっとしたことで、いちいち人の手をわずらわせることもないでしょう? 衣食住に関する基本的な欲求だし、自分の後始末は自分でしたい。そう思いません?」
「……分かった……」

 豪は渋い顔になった。樹李亜は完全に喧嘩腰だった。

「怒ってるの? 何かあれば相談を、って、言っていたくせに」
「いや、違う。今までそういう要求がなかったので、面食らっているんだ」
「あん?」

 今度は樹李亜が困惑する。豪は笑顔を作って言った。

「でも、いいんじゃないか。他の人の意見も聞いてみる」
「そりゃあ、どうも、お手数をおかけします……」
「本当に、どういたしまして」

 樹李亜と豪は向き合って、お互いに頭を下げた。



***

 豪が立ち去った後でルームメイトが言った。

「へえ、すごいね。あのお固い寮長を説得するなんてさ。なんか、あんたの切実さが伝わって来たよ」
「実際問題、本当に、切羽つまってるんで」

 相手の遠慮のない口調につられて、樹李亜も気軽な口を聞く。
 そして、ルームメイトからの視線に気づく。案の定、ルームメイトはその質問を聞いてきた。

「あんたの名前、『ジュリア』だっけ? ご両親のどちらかが外国人とか?」

 樹李亜は良くも悪くも純和風の顔立ち。
 とても日本人以外には見えないのに、皆同じ質問をしてくるのだ。

「いえ、私は両親ともに日本を出たことはなく。母も自分の名前が『ミア』で同じ苦労をしたはずなのに、私にも外国人っぽい名前をつけて……」

 ルームメイトは大笑いした。

「あたしはね、父がドイツ人なの。こんな顔で、名前が『桜子(さくらこ)』でしょう? だから会うとみんなびっくりして、日本語を話すとまた、何度も顔を見直すのよ……」

 桜子はにやりと笑って自分の顔を指さした。

 樹李亜は桜子の顔をまじまじと見た。確かに、顔の彫が深くて、日本人離れしているようなところがある。体格も、少しがっしりしているような。

「……あたしの父さんが日本のアニメオタクでね、日本に来て母さんと出会って、でも私を置いて二人でドイツに帰っちゃった。おかげさまでこんなところにいるんだけど、……あんたはなんでここに来たの? 妙に生活感のあるフリして、実はすごい家の出だったりするの?」

 それは樹李亜にもよく分からない。
 実家など、ほとんどないも同然。幸いにも、成績優秀者として神代学園の奨学金を得ることができた。それと学生寮の存在がなければ、高校にも通えなかったはずだ。

「成績優秀により、推薦するって言われたのだけど……」
「へえ、成績なんだ。いいね。家の力でなくて、そういうのもあるんだ」

 桜子は感心した様子でうなずく。

「桜子さんの方は、どうなの?」
「父さんがね、ドイツだとちょっとした財産持ちらしいの。日本じゃぜんぜん無名だけど、それで、これの力ね……」

 桜子は指でお金のマークを作って見せる。

「多分、ここで、いい旦那をつかまえなさい、って。そいういうことよね」
「旦那?!」
「あら、知らなかったの。『アルファクラス』って、名門家系の子女の、出会いの場みたいなもんよ。財閥の御曹司とか、いいとこのお嬢様とかさ……ダンスパーティなんて、まさにお見合いって感じだし」
「えええ!?」
「真珠さんと大和さんだって、ここで出会うべくして出会った二人って感じよね。それでもう、両家が認める公認の仲で、同じ部屋に住んじゃってるんだし」
「……」

 あいた口がふさがらない、とはこのことだ。

「玉の輿っていうんだっけ? お互い、いい未来が来るよう、がんばろー」

 桜子は明るく言って拳を上に突き上げるポーズをした。
 
(うわあああああ……)
 思ってもみなかった事態に、樹李亜は頭を抱え込んだ。