多恵がどう考えているのかを聞いたことはないが、おそらく理事就任のために結婚を急かしてるのだろう。

実際、彗自身も最初はそのつもりで羽海との初対面を迎えたのだ。

けれど今の彗は、ただ不器用に初恋にあえぐ男そのもので、羽海に対する気持ちに不純物などひとつも混じっていない。

ハッとして言葉を紡ごうと羽海を見据えると、彼女の瞳には失望と諦めの色がありありと浮かんでいた。

それに気付いた時にはすでに彗の言葉は届かず、結局なにも弁解できないままタイミング悪く病院から呼び出しがあり、涙を堪えて見送ってくれた羽海をひとり残したまま、こうして職場で悶々とする羽目に陥っている。

(クソ、隼人がなにか吹き込んだのか)

心の中で悪態をつくが、そうではないと思い返す。

たしかに彗は羽海が言うように、自分が財団を継ぐために多恵が決めた女性と結婚しようと思っていたのだ。

私利私欲のためではなく、兄の隼人には任せられないという使命感から、自分が継ぐべきだと感じている。

祖母に勧められた羽海と結婚すれば、隼人ではなく自分が継ぐことになるだろう。それはおそらく間違いないはずだ。

近く理事長を退任予定の多恵にとって、この病院や財団は亡くなった夫と築き上げた大切なもの。

金儲けのためではなく、地域医療に貢献するために身を粉にして働く祖父母や父を尊敬している彗にとって、必ず守り抜くべき場所だ。