新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

「そんなことないです。作業が遅いので、早く準備しないと追いつかなくて・・・・・・」
そんな私の言葉に高橋さんは黙って微笑み、鞄から分厚い書類をおもむろに出すと、その書類を持ってちょうど出勤してきた支社長に声を掛けて、一緒に支社長室に入って行った。
もしかして、昨日の件はまだ解決していないの? 高橋さんは、問題ないと言っていたけれど・・・・・・。
「おはよう。今朝は、スタートが早いね」
「あっ、太田さん。おはようございます。人より作業が遅いので、早めに始めないと駄目なんです。それでも、追いつけないのですが・・・・・・」
「感心だな。こっちは、本当にいい意味でも悪い意味でもみんなマイペースだからね。でも、就業時間には正確できっちりしているから、そこは本当に凄いところだけど。仕事が途中でも、関係なく時間通りに必ず終わるから」
「そうなんですか」
それも、ある意味凄いな。でも、それが普通? やはり習慣の違いなのかもしれない。
「高橋さんは?」
「少し前に、支社長室に行かれました」
「そう」
太田さんは、支社長室の方に視線を向けた。
「あの、太田さん。昨日、お話ししていた件は、まだ解決していないのですか?」
「どうなんだろう? 高橋さんからは何も話を聞いてないから、どこまで進んでいるのか分からないんだ」
「そうですか・・・・・・ありがとうございます」
そうなんだ。太田さんも何も聞いていないとしたら、まだ解決していないのかもしれない。それなのに、そこにまた私がアウトレットに行く話をキャンセルしたいなんて言ってしまったから・・・・・・だから高橋さんは、 【ちょっと、考える】 と言ったのかもしれない。
ああ。いつも言ってから後悔してばかり。何で、いつもこうなんだろう。身近に居るのに、全然高橋さんのことを理解していない。
配慮のない人には、なってはいけない。他人の哀しみや苦しみ、痛みの分かる人になりなさいと子供の頃からお父さんに言われて育ってきた。無論、子供の頃は、その意味も分からず、どういう意味なのか聞いても、お父さんは大人になれば分かるとだけしか教えてくれなかった。だから小学生の頃は、ただ泣いている人が居たら慰めればいいのかな? ぐらいにしか思っていなかった。けれど、高校生ぐらいになって、自分がされて嫌なことは他人にもしない。それが配慮のない人にはなってはいけないという意味に近いのかと思うようになり、他人の哀しみや苦しみ、痛みの分かる人になるというのは、大学生になった頃、親を亡くした友達のお葬式で哀しみにくれている友達を見て、あれが自分だったらどうだっただろう。どうなってしまうんだろうと想像した時、その哀しみが怖さに感じられた。その哀しみや苦しみ、痛みは自分にも何時訪れてもおかしくないもので、それは他人事ではないということ。その哀しみや苦しみ、痛みを自分に置き換えて考えてみるということを知るようになってきたのが現在。