新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

太田さんは、高橋さんの言葉に沈黙している。
「太田。会社側としたら、社員を路頭に迷わせるようなジャッジは出来ない。それを説得出来るようなデータを出してこい。そうすれば、重い扉も開くことはある」
高橋さんが先ほどとは違った優しい口調で、項垂れている太田さんの肩を叩いた。
「ですが、もう支社長はその気に……」
「太田。俺は、何のために来た? ただ、帳簿を見に来ただけだと思うか?」
「高橋さん……」
「それこそ、それだけだったらデータを送って貰えば済むこと。時間と経費を費やすこともない」
そう言うと、高橋さんは微笑みながら太田さんの肩をポンポンと叩いてこちらに向かって歩き始めた。
「高橋さん!」
太田さんは、慌てて高橋さんに追いつくと行く手を阻んだ。
「支社長には、俺が話をする」
「でも、高橋さん。支社長は、もうその方向で支社内でも話を進めています。再度、社長への答申について、高橋さんが滞在中に話があるはずです。それを止めるには、ちょっとかなり……」
「さっき言ったよな? 内容を精査した上で稟議に掛ける価値はある。但し、それも説得力のあるデータがあってのことだって。だから、俺は今回の原案を支社長が推すデータはないにしても、その負のデータを持ってきた」
「ですが、仮に支社長を止められたとしても、高橋さんの今後の立場が悪くなるんじゃ……」
「俺の立場? そんなものは、端っからないに等しい。自分の立場を考えていたら、会社は動かない。動かせない。動かしているつもりもない。あるのは、会社に対する愛情ぐらいだ」
「愛情……ですか?」
会社に対する愛情……。
「会社に対する愛情がなければ、仕事にも身が入らないし会社の発展もない。1人でも多くの社員が切磋琢磨してこそ、会社の繁栄に繋がる。己が会社を動かしているなんておこがましい考えを持った時点で、それは会社に対する愛情ではなく、己のエゴを優先していることになる。その考えが大きいほど、それが会社のためになるか、否かの判断以前に、知らぬ間に思いつきで仕事をしてしまっている。だから、俺の立場なんて端っからないに等しい。今回、本社の意向を伝え、説得するのが俺の仕事だ。まあ、一筋縄では行かなそうだけどな」
「高橋さん……何時、支社長に話されるんですか?」
「やらなければいけないことは、早いうちに片付けて本来の仕事に落ち着いて臨みたいからな。支社長が出社したら、今日話すよ」
「今日ですか!」