新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

「昨日の話の続きですが、高橋さん。支社長の仰るとおり、私もやってみる価値があると思うのですが」
「太田」
「はい」
「やってみる価値があるか、否かの判断は、それが繁栄の礎を築けるかどうかに掛かってくる。現段階で直近のPMIの数字を見ても、5月は49.2。6月が48.2と明らかに下がってきている。それだけで答えはおのずと出るんじゃないか?」
「ですが、日本国内ではないですし、グローバルに考えれば……」
「相手が国内であろうと、国際であろうと、そこは問題にならない。やってみる価値とやる価値とでは、まるで意味が違う」
「しかし、支社長は……」
「支社長が何と言われようと、会社として何千人もの社員を抱えている経営側として確たる保障もないまま、みすみす溝に捨てる金は出せない。出すことは出来ない」
「高橋さん」
声を荒げた太田さんの方を振り向くと、何時になく厳しい目をした高橋さんが太田さんと対峙していた。
「何故ですか? 以前、自分の可能性に賭けてみろとおっしゃったじゃないですか。あれは、嘘だったんですか? 高橋さん。ご自分の言動には、責任を持って下さい。その何気ないひと言に、一喜一憂して頑張る部下だっているんですよ。現に、僕自身も……そうですから」
「……」
太田さん。
もし、太田さんの言っていることが事実だったとすると、高橋さんの言動は……。
「可能性がゼロではない限り、チャレンジしろと言ったのは高橋さんですよ?」
太田さんの悲痛に聞こえる高橋さんへの問い掛けが、何だか他人事に思えなかった。
「太田。確かに、俺はお前に言った。そのことは覚えている」
「でしたら、どうして頭ごなしに駄目だと言うんですか。やってみなければ、分からないじゃないですか」
高橋さん……そうなの? 太田さんに言ったことがあるなら、何故?
「だが……それを、原案に置き換えるべきか、否かの判断は何処でする? 何処で区切る?」
「えっ?」
原案って、何だろう?
「太田自身が、何かにチャレンジすることや可能性に賭けることは大いに賛同する。それが太田のためになることならば、迷うことなく突き進めばいい。しかし、それはあくまで太田自身の問題だ。吉と出ようと凶と出ようと、間違いなくそれは太田自身に降りかかってくること。自分のとったジャッジに、自分で責任を負えばそれで済む。だが、それをそのまま会社の運営に置き換えた時、それでいいのか? そんな安易な決断をして、責任を負えるか?」
「そ、それは……」
「無論、データがあって計算した上で利益が出るというのであれば、内容を精査した上で稟議に掛ける価値はある。但し、それも説得力のあるデータがあってのこと。リサーチもなく、マーケティングの基本データが負の要素を持っているものだとしたら、稟議に掛ける以前の問題だろう。やってみる価値があるか、否か。不透明なことばかりの危険な原案に、社運は賭けられない」
「……」